存在をまるごと受け入れる、というテーマのところにあったお話、ちょっとすごいなと思いました。
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道場には、ウソツキの子もいます。虚言癖というのでしょうか、つまらないところで、つまらないウソをつく。それもバレバレのウソです。
でも、それも仲間の持ち味としてみんなで認めてあげる。
「なになに、またキミはウソをついてるの?しょうがないなあ。でもいいんだよ、キミはウソツキなんだから」
と許してあげる。それで恥ずかしくなってウソをつかなくなるかというと、彼はやはり、相変わらずウソをつきます。直らない。しかし、直る直らないはどうでもいいのです。それは彼自身の問題ですから。直そうと思うのなら直せばいいし、直らないというのであればそれも仕方ない。
彼を通じて、他のみんなが何かを学べばいい、という関係性もあるということです。
ある者は、ウソをつく人の特徴を掴んで、社会に出たとき、もっと手強いウソツキに出会ってもだまされずにすむかもしれない。またある者は、ウソをつくことの悲しさを知り、自分はウソをつくまいと思うかもしれない。
そして、どんな存在であれ、仲間である限りは、善悪や良否を超えて、存在を認め合うことの楽しさを知るでしょう。誰にだって、程度の差こそあれ、善の部分があり悪の部分がある。素晴らしいところもあれば、ダメなところもある。そのことから逃げないで、受け入れ、そのことを楽しむのです。
人間がなんと複雑であるかを知り、どんなに矛盾した存在であるかを知って、それを楽しめばいい。