ほんとにすごいです

アメリカのめっちゃスゴい女性たち
アメリカのめっちゃスゴい女性たち」を読みました。
雑誌ananに連載されてた記事が本になったものだそうです。
ほんとにびっくりするような人たちばかりが55人も!載ってます。
極貧生活だったり、差別や虐待を受けた少女時代と、現在の活躍とのギャップが激しすぎて、いったいどういう精神構造を?どうやったらそんな過酷な状況で絶望せずにいられたの?と驚きの連続でした。

たとえば・・・
P77
 ベティ・アン・ウォーターズは典型的なホワイト・トラッシュ(貧乏白人)だった。ボストン郊外の貧しい家庭に、9人兄弟の1人として生まれ、ロクに働きもせず酒や麻薬に溺れる両親から放置され、親戚や里親を転々として育った。
 でも、どんな時でも1つ違いの兄ケニーは一緒だった。ケニーは無情な大人たちから、必死で妹を守ってくれた。腹を減らした妹のために食べ物を盗んでくれたこともあった。その頃から、ケニーは非行少年として地元の保安官から目をつけられるようになった。
 ベティは高校を出るとすぐに結婚し、2人の男の子を育てながら、地元の安酒場でウエイトレスとして働いた。・・・
 '83年、ベティが28歳の時、家の近所で強盗殺人があり、ケニーが犯人として逮捕された。物的証拠は何もなかったが、保安官がケニーの元同棲相手を脅迫、彼の暴力癖などを証言させて陪審の心証を動かし、彼に終身刑が下された。
 獄中でケニーは自殺を図った。ベティは面会で「二度と死のうとしないで」と兄に嘆願したが、最低賃金のウエイトレスには、再審のために弁護士を雇う金などない。
「お前が弁護してくれたらなあ」
 兄が諦めたようにつぶやいた。それだ。それしかない。ベティは30代で司法試験を目指した。まずは大学の卒業資格がいる。高校の教科書も読めなかった彼女は、昼間勉強し夜学に通い、その後酒場に出勤した。ほとんど寝なかった。
 大学を出て、法科大学院へ進むと勉強と学費はさらに厳しくなった。最初はベティを応援していた夫や子供たちも、結局は彼女の元を出て行った。最後にはケニーすら「もう俺にかまうな」と言い出した。
 大きな犠牲を払い、彼女はついに司法試験に合格した。が、戦いは始まったばかりだ。証言を撤回させ、冤罪を裏付ける物的証拠を探し出さねばならない。しかし事件から10年以上経ち、証拠物件はすでに処分されていた。それでもベティはあきらめず、冤罪の被害者を救う団体「イノセント・プロジェクト」の助けを得て、あらゆる記録を漁り続けた。そしてついに別の州で偶然保管されていた犯人の血痕がついた凶器を発見した。血痕をDNA鑑定すると、兄の血とは違っていた。
 '01年、逮捕から18年後、ベティはとうとう兄の無実を証明し、彼を釈放させた。ベティの戦いは、ヒラリー・スワンク主演で『コンビクション』というハリウッド映画になった。
 ・・・
 ・・・ベティは、今も同じ酒場で働いている。名声を利用し弁護士として活躍する気はないと言う。「私は兄を救うために司法試験に受かったの。自分のためじゃない」。
 ベティが兄の裁判の後、法廷に立ったのは一度きり。勤め先の酒場の酒類販売許可が不当に取り消された時に戦って取り返した時だけだ。
 とはいえ、ベティは今も「イノセント・プロジェクト」で冤罪で苦しむ人々のために無償で協力し続けている。