全部、こころ

ボクは坊さん。

たしか、アンソニー・ロビンズのセミナーに参加した時に、言葉や説明は全然違いますが同じ内容のことを聞いた気が・・・大事なことは共通してますね。
「全部、"こころ"なのかもしれない」というお話です。

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 ・・・その時、ある自分なりの「気づき」のようなものが、僕の胸に飛び込み、馴染んできた。
「全部、"こころ"なのかもしれない」
 その感覚は、よく耳にするような「みなさん、これからは、お金でも体でもありません。心の時代なのです(満面の笑み)」というような話とは対極にある、感情の洪水を全身で感じるようなものだった。
 つまり僕たちのもつ欲求や、目的、そういうすべてを突き動かすなにかが、「どんな心が欲しいのか?」というひとつの問いかけに集約できると思ったのだ。たとえば「お金が欲しいな」と感じた時、僕たちはなにを求めているのだろうか?それは
「お金を持っている、ということを感じているわたしの"こころ"」
 を欲しがっているのではないだろうか。
「いや、全然ちがう。私はヴィトンの大きいバッグという"物"が欲しいから、お金が欲しいの。心じゃないよ」
 とあなたは言うかもしれないけれど、それも「ヴィトンの大きなバッグがもたらしてくれる、私のこころ」が欲しいはずなのだ。僕は同じような問答を電車の中で一時間ぐらい繰り返してみたのだけれど、欲しいのはいつも、"こころ"だけだった。「なんだか体を動かしたいな」という時も「体を動かした時の充足感や快感という"こころ"」が欲しいと思うし、「あなたが好きなんです」という思いでさえも「あなたといる時、あなたを考えた時に、私の感じる、私の"こころ"が好きなんです」ということだ。あまりロマンチックな話ではないけれど。
 逆に「嫌だな」という時でも、「嫌だと感じる"こころ"をもつことがイヤ」なのだ。なんだか、僕はそんなふうに考えることが、たまらなくおもしろく感じ始めていた。「歯医者に行きたくない」と思うのは「痛いと感じる私の"こころ"をもつこと」を嫌がっているわけだし、「あなた、行かないで!」というのも、行ってしまった後に感じる自分のこころをもつことが嫌なのだ。
「だから、なんだっていうんだよ!」
 と怒られてしまいそうだけれど、これは僕にとってはすごく興味深い話だった。
 僕たちは「生きる」という人生の中でいろいろなものをもったり、経験したりできると思っているけれど、「僕たちは"こころ"しか、もつことができない。そして、そのこころを味わうだけが生きるということ」、そんなふうに言うことはできないだろうか。個人的には、言えると思った。
 そして生きるということは、そんなにもシンプルなことなのだろうか。ただここに、こころがあることが、僕たちが生きるということなんて。