澤穂希さんの本

澤穂希さんの本を読みました。
夢をかなえる。 思いを実現させるための64のアプローチ

どんな方なのかな?という興味から読んだのですが、さすがトップアスリート、伊達公子さんにも感じた器の大きさや、自分を認める在り方が印象的でした。

ちょっとびっくりしたのが
「そういえば、私は1年ごとに限らず、1日ごとに、未来を楽しみに生きていますね。女子サッカーが苦しい時代だっていつもそうでした。就寝時間になると、『早く明日が来ないかな』と、毎日のように思うことができるんです。そんな30代いないよ、と呆れる人もいるかもしれませんが、いるんです、ここに」
という文章。そんな風にも生きられるんだ〜と新鮮でした。

こちらもいいなと思ったところ、「コンプレックスは無理に克服しません。」というタイトルです。

P39
 2006年のアジア大会決勝で、北朝鮮と戦ったなでしこジャパンは、0ー0のまま決着がつかず、金メダルの行方はPK戦に持ち越されました。私はその一番手に指名されて、みごとに外してしまいました。結局私たちは負けてしまい、チーム史上初の国際タイトルを寸前で逃してしまったんです。
 私は、ものすごく責任を感じてしまい、ピッチ上で号泣しました。当時のキャプテン、池田浩美選手に抱きかかえられてやっと立ち上がることができたぐらい、本当にショックを受けたんです。それ以来、PKは私のトラウマです。たとえ練習でも、PKは蹴りたくないぐらいです。
 そういう背景があったので、ワールドカップ決勝のアメリカ戦では、「PKを蹴りたくない。一番最後にしてほしい」と、監督のノリさんに直訴したんです。実はコーチが考えていた順番では、私も5人のリストに入っていたのですが、チームが世界一になれる大きなチャンスに、もし自分が外して金メダルを取れなかったら、みんなに申し訳ができない。そう思うと、正直、足がすくんでしまったんです。
「(順番を)最後にして」とお願いした私に対して、ノリさんは「分かった。澤は同点ゴールという大仕事をしたんだから、お役御免だな。あとはみんなで頑張ろう」と言ってくれて、作戦ボードの上にあった「10番」、つまり私の背番号のついたマグネットをポイッと端っこに避けてくれたんです。輪になっていたみんながそこでクスッと笑い、私が「ラッキー」とおどけるように言うと、「えーっ、ずるーい」なんて言いながら、みんなの笑顔がさらに広がりました。
 多くの方から「テレビで見て印象的だったよ」と言われる「笑顔の円陣」の内側では、そんなやりとりがあったんです。
 いつか克服しなくてはと思うのですが、「成功して当たり前」とさえ言われるPKを、大舞台で自らすすんで「蹴りたい」と言えるほどの自信は、いまの私にはありません。
 ほかにも苦手なことはたくさんあります。もちろんそのまま放置するわけではなく、対策にも取り組んでいますが、やはり、だからといって決して他人とは比べません。
 ・・・
 ・・・誰にでもその人の色というものがあるはずです。だったら、その色を磨いたほうがいいって私は考えます。仕事で他人から吸収することもあるし、学校だと苦手な科目を向上させる、そういう学ぶ姿勢はとても大切だとは思いますけど、そのことに自分の時間の多くを割くより、自分のいいところを最大限に伸ばすことに力を注いだほうが、より良い結果に結びつくことのほうが多いと思います。どの世界でもいざという時に他人が必要とするのは、他人とは違う自分の長所。そう思いませんか?