心を映す

「氣」の威力 (講談社+α文庫)

合氣道で、いとも簡単にコロンと人を投げてしまうのを見たことがありますが、こんな理屈だったのですね。
わかったからできるものでもありませんが(笑)

P130
 黒瀬川が小結になったとき、私は彼と対戦したことがある。統一体を覚えた黒瀬川にかなうものが道場にいなくなってしまったので、私が稽古をつけてあげることにしたのだ。だが、そのとき私は六十歳だった。
「いつかかってきてもいいですよ」
「先生、本当にいいんですか」
 黒瀬川は自分よりはるかに高齢で、体も小さい私を見下ろして、心配そうにいった。
「いいからかかってきなさい」
 まわしをしめた黒瀬川が、猛牛のようにダーッと私めがけて突っ込んできた。それを私はヒョイと投げる。すると、大きな黒瀬川がコロン、コロン、コロンと三回ぐらい転がった。
「……?」
 黒瀬川が不思議そうな顔をして私を見る。どうして投げられたかわからないのである。
「もう一度いいですか」
 黒瀬川は年寄りに負けて悔しかったのだろう。いつのまにか夢中になっていた。だが、何度やっても同じである。向かってきた黒瀬川はコロコロと転がる。
「いま、何をしたのですか」
「君を投げただけだ」
「それはわかりますが、どうやって投げたのですか」
「自分で考えてごらん。自分が投げられたのだから」
 黒瀬川は、わけがわからずに首をひねっていた。
 投げられた本人がなぜ投げられたのかがわからないのは、私が力を使って投げてはいないからである。力を使って投げようとしたら、本職の相撲とりにかなうわけがない。逆にいえば、私は自分の力をほとんど使わないから、黒瀬川を投げ飛ばすことができたのである。
 タネ明かしをしよう。心が体を動かす、という理屈を私はこれまで何度も話してきた。この場合もそれである。
 黒瀬川の体が私のところにくる前に、彼の心、つまり私に体当たりしようとする「氣」が先に来ている。その瞬間に私が動くのである。だから、彼が私にぶつかったと思ったときは、私はそこにいない。そして、勢いのついた彼の体を私が押すと、彼が勝手にすっ飛んでいくだけである。
 簡単に説明すれば、こんなことになる。イスに坐ろうと思ったとき、イスをパッと引いたら、体が大きかろうが小さかろうが、コロリとひっくり返る。だが、体がイスに腰かけてからではイスは引けない。心が坐ろうと思ったときに、イスを引くから体がひっくり返るのである。
 ・・・
 相手の心を動かせば、体もそれについていく。これはふだんの生活でもそうであろう。力ずくで強制すれば、たいてい、相手に拒絶される。ところが、相手が氣持ちのいいように心を導いてあげれば、どんなことでも聞いてくれる。・・・
 かんじんなことは、相手の氣を察知することである。多くの人は、体ばかりを見て氣を見ていない。どんな場合でもそうだが、まず最初に心がある。
 ・・・
 では、その氣を見すますにはどうしたらいいのか。
 これは心身統一ができれば自然に感じるようになる。本当にリラックスしていれば、相手の心、相手の動きがよくわかる。体に力を入れたり、頭でいろいろ考えていれば、相手の心などわかりようがない。水がしずまっていると、月が月として映り、鳥が鳥として映る。これと同じように人間の心もしずまっていれば、相手の心が映るようにできているのである。

 ところで明日からちょっと用事でパソコンから離れてしまうので、数日お休みします。(火)には再開できるかな?と思います。
 いつも見てくださってありがとうございます(*^_^*)