クルム伊達公子さんのお話も感動しました。
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二〇一〇年、クルム伊達公子選手は歴史的快進撃を見せました。
五月の全仏オープン本戦一回戦で、前年世界ランキング一位のディナラ・サフィーナに大逆転勝利。九月の東レパン・パシフィック・オープンでは、一回戦で前年優勝のマリア・シャラポアに勝ちました。
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一月十一日に六四位だった世界ランキングは、十一月八日には四六位まで上昇。四十歳で世界ランキング四六位に達したのは史上二人目だそうで、テニス界のみならず、世界のスポーツ界でも注目される存在となりました。
現在の女子テニス界では、身長一八〇センチの選手も珍しくありません。年齢は、ほとんどが二十代前半です。年齢的にも体格的にも不利な伊達選手が、なぜ勝てるのか?
いまのトップクラスの選手は、パワーテニスのハードヒッターが多く、腰から肩の高さで打つフォアハンドを得意とする反面、腰から下に対するボールは苦手です。
そこで伊達選手は、弾道が低く滞空時間の短い打球を打ち、相手選手にフォアハンドにまわりこむ隙を与えず、結果的にバックハンドで打たざるを得ない状況にもっていってポイントをとる戦略をとりました。相手の良さを出させない、ベテランならではの技術と戦略です。
活躍の秘密は、もちろんこれだけではありません。定期的に行われる合宿で衰える瞬発力と持久力を鍛えるという、地道な努力の積み重ねがありました。
宮崎で合宿中の伊達選手を訪ねた僕は、まずトレーニングの質と量に驚きました。トレーナーとともに、常に限界ぎりぎりまでからだを追い込む内容です。
なかでも、酸素を薄く調節した空気をマスクから吸い込みながら運動するトレーニングは、マラソンランナーが行う高地トレーニングと同じ効果を狙ったもので、心肺機能が強化され、持久力が上がるといわれます。
低酸素での運動は、叫び声をあげるほど苦しい。かつての伊達選手は努力型というより才能型で、トレーニングはあまり好きではなかったようでした。それがいまでは、「練習が楽しい!」と言うのです。僕は、素朴な疑問をぶつけてみました。
「テニス、そこまで好きだった?」
「好きになっちゃったかもしれない」
「それは情熱?」
「情熱っていうか、愛かな!」
以前は、周囲の期待に応えようという義務感のなかで追い詰められながらプレーしているように見えた伊達選手の口から、テニスに対する「愛」という言葉が飛び出したことに、驚きを覚えました。四十歳だからこそ達した新境地なのでしょう。
・・・一つの壁を超えたのが、二〇一〇年五月の全仏女子オープンだったといいます。
本戦一回戦で、第九シードの選手、二十四歳のサフィーナと対戦。ファイナルセットにもつれこみ、1−3でリードされていたとき、右ふくらはぎ筋膜裂傷を起こしてしまい、伊達選手の敗戦は濃厚となりました。
・・・スタンドの伊達さんのコーチからは、「途中棄権」の合図が何回も送られてきました。・・・
でも、伊達選手は最後まで戦うことを決断した。そのときのことを振り返り、
「途中棄権の合図は無視しました。『見えなかった』と言おうと思って(笑)。なぜなら、みんなが『棄権したほうがいい』というレベルと、『本当の棄権』というレベルには差があることを、自分で知っているから。私は、限界の一歩手前までいきたい!」
と言うのです。僕は絶句してしまいました。
治療のためのタイムアウトをとって応急処置し、試合再開。でも、痛みが完全に引いたわけではありません。いったい、どうやってプレーを続けたのか?
本来ならテニスのステップは踵を浮かし、つま先で行うのが基本ですが、このときの伊達選手は、ふくらはぎに負担をかけないよう踵から着地してプレーしていたのです。ベテランとなったいまだからこそできる工夫、そして執念!最終的に、追い詰められたのはサフィーナのほうでした。
ついに迎えたマッチポイント。サフィーナの打球がアンダーラインをオーバーした瞬間、天に向かって「やったぁーっ!」と叫び、ガッツポーズ!
1−3から7−5の大逆転勝利でした。三十九歳七カ月での勝利は、全仏女子オープン歴代二位の記録。四大大会で十四年ぶりにあげた勝ち星でした。
スタンドのギャラリーは総立ちになり、嵐のような拍手を彼女におくりました。
笑顔でそれに応える伊達選手。その頬には、ひと筋の涙が流れていました。