まだ読み途中です

ラムサ ホワイトブック 改訂版

ラムサの本、引き続き読んでいます。
書きとめておきたいところがまた出てきました。

P164
 自分の創造物を直接体験し、自分の創造性の表現を続けるために、神々が物質でできた自分の乗り物を創造することを決心したのは、食物連鎖がしっかりと定着してからのことだった。つまり神々は、自分の創造物としてではなく、「自分自身として」体験し、表現するための乗り物を創造することにしたのである。そしてそのために、彼らは人間と呼ばれる化身を創造したのである。
 ところで、思考は浸透性の振動数を持っており、物質を通りぬけてしまう要素である。したがって、光という形の思考であった神々は、花そのものになることはできたが、その香りを嗅ぐことも、その本質を知ることもけっしてできなかったのだ。・・・彼らは石を通りぬけても、それを感じることはできなかった。なぜなら、思考にはそれよりも低い振動数でできた要素を感じるための感覚能力がなかったので、思考は石という物質に影響されることがなかったからだ。
 神々が花の香りを嗅ぎ、花を手に持ち、花を身につけるためには(つまり花の美を知り、その鮮やかさを実際に体験するためには)、花と同じ振動数で振動する、物質でできた乗り物を創造しなければならなかった。・・・物質、あるいは物質の固体性と呼ばれるもの、つまり最も低い形態まで下げられた思考を通して、神々が自分の創造物を感じて体験し、自分の創造的な能力を表現していくことができるようにするためである。
 ・・・これで神々は、実際に木を見て、それについて熟考し、その香りを楽しみ、その美しさに触れることが可能になったのだ。