またちょっと戻って・・・

お休みしていた間のこと、少し書きたいことがあるのですが、今その間のたまった用事を片づけてまして(^_^;)
今日明日はミチオ・カクさんの本から、またもう少しご紹介したいと思います。
フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する
右脳と左脳の話、とても興味深いです。

P84
・・・分離脳患者の左脳が、同じ頭のなかに異なる意識の中枢がふたつあるかのように思える事態に直面したとき、どんなにばかげていようと奇妙な説明をこしらえることに気づいた。・・・明らかな矛盾を前にしたとき、左脳は不都合な事実を説明する答えを「作話」するのだと。
・・・
 たとえばある実験で、ガザニガは「赤」という単語を患者の左脳だけに示し、「バナナ」という単語を右脳だけに示した(したがって、支配者たる左脳はバナナのことは知らない)。続いて患者に左手(右脳が司っている)でペンを持たせ、絵を描かせた。当然だが、彼はバナナの絵を描いた。改めて強調するが、右脳にこれができたのは、右脳がバナナを認識したからだが、左脳には、右脳にバナナを示したことなど知るよしもなかった。
 それから患者に、なぜバナナを描いたのかと質問した。発話をコントロールするのは左脳だけで、左脳はバナナのことは知らないことを考えれば、患者は「わかりません」と答えるはずだった。ところが患者は、「左手で一番描きやすかったからですよ。線を下ろすのが簡単なので」と答えた。ガザニガは、患者自身がなぜ左手でバナナを描いたのかわからなくても、左脳がこの不都合な事実に何か言い訳を見つけようとしているのだと気づいた。
 ガザニガはこう結論している。「左半球こそが、混沌のなかに秩序を見出す人間の傾向にかかわり、すべてをひとつのストーリーにまとめ、ひとつの文脈に収めている。それは何の関連性もない事実にでくわしても、世界の構造の仮説を立てるべく導かれているように見える」
 こうしてわれわれのひとつの「自己」という感覚が生まれる。意識は、競い合い、しばしば矛盾する性向の継ぎ接ぎでできているが、左脳は、われわれにひとつの「私」という感覚を与えるために、矛盾を無視して明らかなギャップを取り繕う。つまり左脳は、いつでも言い訳をしていて、そのなかには、世界を説明するためにとんちんかんでおかしなものもあるのだ。左脳は絶えず「なぜ?」と問い、その問いに答えがなくても言い訳をこしらえている。

以前、池谷裕二さんの本↓でも読みましたが、脳ってほんとに不思議です。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
自分が気づいていない考えも自分の中にあるんだなと思うと、私は誰?ここはどこ?という感じも・・・(笑)