ある瞑想家の冒険

ある瞑想家の冒険―悟りに至るまでの半生、そしてその後

おもしろい本を読みました。
「ある瞑想家の冒険」
不思議体験が満載のボブ・フィックスさんの自叙伝。
ちょうど今、日本にいらしてるみたいです→http://ameblo.jp/speakingfromku
へぇ〜〜〜っというエピソードがいくつもあるのですが、長くなってしまうので、ご紹介しやすい部分だけ、いくつか書き留めておきたいと思います。
固定観念が外れるお話が多くて、もっとこの方の本を読みたくなりました。

P3
・・・わたしが自分の人生について話すのは、人々が日々の営みを超えたところに目を向け、人間の本当の可能性を見つける力となることを願ってだ。わたしたちはみな無限だ!想像しうる以上のことをやってのけられるのだ。・・・
・・・
 人生とは映画である。この世はその舞台だ。意識はそれを映し出すスクリーンだ。そして、思考は観客であり、身体は役者である。

↑意識がスクリーンだ、という意識は(なんか変ですね 笑)あったのですが、そうか、思考は観客なんだ、というのは読んで気づきました。

P15
・・・人生の試練はすべて、賢く配置されている。試練がやってくるのは、次の一歩を踏み出し、自分について、そして自らの能力について、新たな何かを発見する準備ができたときだ。

↑これはもうほんとにそのとおりで・・・どこかで、苦難は前菜だから、ご褒美というメインディッシュに一歩近づいたと思っていい、というようなたとえも読んだことがあります。

P30
 そういう姿勢をどこでもつようになったかはわからないが、それ以降の人生も、わたしはずっとそんなふうだ。信じていることは脇に置き、何であれ与えられたことを無邪気に体験してみるという姿勢だ。まず先入観をもたずに体験し、吟味はそれからでいい。正しくなかったり有益でなかったりすれば、後で簡単に捨てられる。重要なのは、何であれひとまずやってみて、それが本物かどうか自分で確かめるということだ。そういえば、それはブッダが弟子に与えた教えだ。ブッダは言った。「わたしが言ったからといって信じてはなりません。自分で確かめてください!」

↑この姿勢も、とても大事だと・・・しかしブッダに言われて鵜呑みにしないというのは結構難しそうです(苦笑)

P73
・・・そういえば、マハリシのコースで(マハリシというのはこの方の恩師です)スペインのマヨルカ島に滞在していたとき、ETが現れた。それについて誰かに質問されたマハリシは、こう言った。「宇宙船で移動していたのなら、それは惑星間のトラック運転手だ。真に悟った存在は宇宙船を必要としないし、自らの高次の意識をつかって、どこへでも自分の体で空中を移動できる」

↑これは、宇宙人だからそれだけで私たちよりすごいとか、そういうことではない、という話なのですが、この部分を読んで、地球上も色々だし、宇宙の他の所も色々でしょうし、どこも同じように悟った存在もいればそうでない存在もいて、そしてまたそれもそれぞれの役割なのでしょうし、とモノの見方が広がった感じがしました。