物の見方について

ああ面白かったと言って死にたい―佐藤愛子の箴言集

佐藤愛子さんの価値観にも、なにかスティーブ・ジョブズの言葉に通じるものを感じます。
ここも読んで、すごいなぁ・・・でもそうかもなぁ・・・と思ったところです。

P76
 十二年頑張って来たおかげで、漸く(この漢字読めなくて調べてしまいました ^_^;)安楽になったんだなあ、としみじみ思うのだが、「では今は幸福ですね」といわれると、なぜか考えてしまう。
 あの走る火の玉のように毎日を送っていた頃が懐かしいのである。あの頃は持てるエネルギーをぎりぎりのところまで燃焼して生きていた。病気は苦しいが、死ぬことを心配したことはなかった。三十九度の熱でも講演が出来た。飛行機の中で原稿を書くことが出来た。
 借金は働けば返せるのである。財産が何もないということは、これ以上なくなることはないということだ。何も怖いものはなかった。盆も正月もない。ただ、前進あるのみ。
 あれこそ幸福というものではなかったのかと、今、六十歳の私は思うのである。「したくない仕事もしなければならなかった」ということは不幸のようだが、「したくない仕事もやれた」と考えれば、不幸の影は薄らぐ。
(中略)一途に、苦労と戦えたということは(負けるとは決して思わなかったということは)、何にもまさる幸福ではなかったか。

P126
 貧乏は、実際に経験したことがないうちは、怖ろしいものであった。しかし実際に経験してみると、それは楽しいものでは決してないが、想像していたほど悲惨なものではなかった。
 また借金取りというものも、会ったことがない間はやはり怖い存在だった。しかし実際につきまとわれてみると、怖いというよりは情けなく、いやらしく、そして滑稽に見ようとすればいくらでも滑稽になるものであることを知った。実際、たかが金のために大のおとなが目の色を変えてわめきまくるというのは本人が必死であればあるほど滑稽なことなのである。
 私は娘にそういうものの見方を教えておきたいと思う。ちょっと価値観を変えれば様相は一変するのだ。それは悲境をくぐり抜ける私の唯一の防禦手段だった。