おいしいおはなし

おいしいおはなし: 台所のエッセイ集 (ちくま文庫 た 74-1)

 高峰秀子さんの選んだおはなし、味わい深かったです。

 

P240

海老フライの旦那と大盛りの旦那 ほか 茂出木心護

 

 毎週、火曜日と金曜日の開店(十一時)十分前にいらっしゃるお客さまは、決まって海老フライをご注文なさいます。近ごろは、あたしどもも心得て、お客さまが黙ってすわられても海老フライをお出しするようになりました。

 あるとき、

「月曜日から土曜日まで、召し上がるものが決まっておられるんですか」

 とうかがいましたら、

「月曜日はうなぎ、火曜日は海老フライ、水曜日は日本そば、木曜日はうなぎ、金曜日は海老フライ、土曜日はお寿司屋で日本酒二本に鉄火巻き。これを三年続けている」

 とよどみなくお答えになりました。店では、

「海老フライの旦那」と申し上げています。

 月曜日から土曜日まで、毎日いらっしゃるお客さまは、カレーライスと小さいラーメンを必ずご注文なさいます。ただ、カレーライスにつく福神づけはおきらいです。もう五年ほどお見えになりますが、時間は午後二時ごろ、店がちょっとすいたときで、腰かける場所も決まっておられます。

 五年のあいだにはいささか変化もあり、以前は食欲旺盛でカレーライスの大盛りでしたが、最近は普通のを召し上がっておられます。あたしどもは食欲の盛んなころをなつかしみ、今でも「大盛りの旦那」とお呼びしております。

 そのほか、お昼の食事のときに必ず小さいビールをお飲みになるかたや、「決まったテーブルでないと食べた気がしないから、いちばんすいたときに来るのだ」とおっしゃって、夕方四時ごろお見えになり、ビールとタンシチューか活車海老フライを召し上がるお客さまもございます。

 ・・・

 入院されたお客さまから、ポタージュスープのご注文がありました。お気に召してお代わりを取りにこられたかたが、「病人の希望ですから、生クリームは入れないでください」と念を押されました。あたしとしてははじめてお作りするとき、寝ておられるので、あまりしつこくてもと思い、はじめから入れてなかったのです。「コンソメではいかがですか」とおうかがいしましたが、やはりポタージュとおっしゃるので、あっさり作るのに苦労したことがあります。

 口の悪いお客さまが、のどを悪くされてご入院。塩、こしょうで味つけしないコンソメスープとのご注文がありました。お持ち帰りになったお使いが翌日お見えになり、

「おやじは『おれののどの悪いのを知っていながら、茂出木はこしょうを入れたに違いない』と申しました」

 とおっしゃるのです。

 ご病人のことゆえ、それは気をつかい、栄養をつけて一日も早くよくなっていただこうと、牛肉、ガラ、野菜、卵白を一番スープとこねて、煮立つまでかき混ぜ、あくをひいた本格的スープを差し上げたのですから、このときはあたしもまいりました。

 さてそれでは、きっとこくがありすぎたのだからと、今度はご病人ののどの具合まで気をくばり、普通にとったスープをお持ち帰り願ったら、お気に入られたということでした。本格スープは味が濃いせいで、のどにしみたのでしょう。むずかしいものです。

 店に四十三年間も来てくださっているお客さまが入院され、牛ヒレ肉のよいところで、ハンバーグをとのご注文がありました。電動式のひき肉機では、二人前以上でないとかかりませんし、職人気質として、そんなよいところをひき肉にはできないものです。

 素人にはわからないんだから、どの部分の肉でもよいではないか、とお考えになるかもしれませんが、それは良心が許しません。一世一代の仕事と思って作りました。特別料理のお代をちょうだいすればよい、とおっしゃったかたもございましたが、品物がハンバーグでは、いただけないものです。

 式場隆三郎さんがご病気の折、メロンのシャーベットをとのご注文があり、メロンの熟れたのからジュースをとりましたが、なかなか汁が出ず、あのときは苦心しました。昔風とおっしゃったので、茶筒に汁を入れ、まわりに氷を詰め、若い者が交代でぐるぐる回してこしらえました。たいそう喜ばれて、再三ご注文があったことを覚えております。

 食べものが唯一のお楽しみの入院生活中、あたしの店を思い出されて注文してくださることに、職人冥加を感じております。

 

P250

茹玉子 水野正夫

 

 ・・・

 ・・・茹玉子、これ以上の味はないと思って食べた事がある。

 今想い出しても、あれ位鮮烈なおもいで茹玉子を食べた事はない。

 あの大東亜戦争の真最中、私の生家、名古屋の熱田もB29の猛爆を受けた。

 その頃私は東京外語の学生。東京も危なくなったので帰郷中、その時我家も丸焼け。

 商家だった大きな家を、兄と二人で最後迄守りつづけたが、あの猛火には如何ともしがたく、表は兄に任せ、私は誰も居ないガランとした家の中へ戻った。

 誰も立ち働いていない台所の土間は、妙に広さを感じた。

 そして人の居るように全ての物がそのままだった。

 あの猛火の最中、冷静に辺りを見渡して、さてどうしようかと考えた。このままこの家が焼けたら、寝る事、当座食べる事……。

 先ず家中のふとんを持ち出して井戸の中へ放り込んだ。

 その井戸は勿論手押しだが、内側が二重になっていて、水のある所は金網でカバーしてあり、その囲いはぐるっと空地のようになっていた。

 とにかく、その所へふとんを投げ入れた。

 さてと、今度は食糧、開きになった押入れを開けるとあるわあるわ、その日に田舎から届いた米が大きな米櫃に一杯。そしてこれは、大ざるに山盛りの玉子、優に百個はあったと思う。

 自転車を持って来て、米櫃を荷台にくくりつけたが、玉子はどうにも持てなくなった。

 井戸を覗いたが、これだけの玉子を放り込んだら、これはいくらふとんの上でも割れるのは理の当然。

 さてどうしよう、と、庇に火の付いた土間に立って考えた。

 その時井戸の前の大きな水瓶が目に入った。人間が二人位は入れそうな水瓶は、何時も井戸から水を組み入れては使っていた。

 ざるごと持って当がってみたら、入る。よし、とばかりにそのまま手を離した。ざぶーッ、という気持のよい音を立て、玉子百個は瓶の中へ、そして屋根の焼け落ちそうな気配の家を後にして一目散に自転車に乗って逃れ出た。

 その翌朝。

 煙でしょぼしょぼした赤い目で、家中のものが何もない、見違えるように何もない我家へ戻って来た。

 生まれてから初めて見る、我家の広さ。思ったより狭い我家の跡であった。

 そこで見た異様なもの。囲りの煤けた、煙ったい、余燼の残った辺り一帯等しく汚れた中に、一際美しく白い大きな塊が目に入った。

 ざるに積み上げられた、見事な茹玉子がひとつも壊れる事もなく、ピラミッド状に聳えていた。

 水瓶の囲りはきれいに割れて、残った底だけが具合よく、蒸器のような具合にざるを支えていた。

 近所の人も誰かれとなく、この異様な玉子の塔に近づいて来た。

 触ったら、ほんと、今茹で上げたように、熱い玉子の殻の感触があった。

 美味かった。

 一晩中ほっつき歩いた末にありついた、初めての食べもの。

 父が云った。

「そりゃそうだろう。家一軒焼いて茹でた玉子だもの。美味くない訳はないよ」

満腹どんぶりアンソロジー お~い、丼

満腹どんぶりアンソロジー お~い、丼 (ちくま文庫 ち 15-1)

 美味しそう・・・今は「神田 天丼家」という名前で引き継がれているようです。

 

P46

天丼 久住昌之

 

 天丼というと、もはや俺は神保町の「いもや」の天丼しか、思い浮かばなくなってしまった。

 たぶん、この二十五年は「いもや」以外で天丼を食べた記憶がない。

 店内はカウンターのみ。

 メニューは三つ、「天丼」と「エビ天丼」と「お新香」。ほか一切無し。

 ビールなど飲み物も無し。

 この潔さがうれしい。こちらの心の煩悩までが、削ぎ落されるかのようだ。

 店の中にも余計なモノがひとつもない。のれんと白木のカウンターがいつもすごくきれいで、全部が丸見えの厨房は、いつ何時も清潔きわまりない。十八歳の時、初めてここで食べてから、この雰囲気は一切変わっていない。

 この雰囲気が、ここで天丼を食べる気持ちを厳かなものにしてくれる。かといってかしこまりはしない。実にリラックスできる。

 天丼というと、エビの天ぷらが二~三匹、丼から大きくはみ出しているのを良しとする人がいる。エビが立派なのが、良い天丼と考えるオヤジがいる。それもわかる。その人のために、この店にもそういう「エビ天丼」がある。

 でも俺は、そんなに魅力を感じない。エビがそんなに偉いか。ありがたいか。考え、古くないか。

 俺はエビの他にキスとかイカとか海苔の天ぷらののったヤツのほうが好きだ。

 要するに、いろいろな天ぷらが食いたいのだ。俺の方が意地汚いだけの気がしてきた。

 いや、俺の好きなほうを、この店では「天丼」と呼んでいる。勝った。

 そういう問題じゃない。

 とにかく少し遅い昼だ。

 空は晴れている(雨の日に天丼は合わない)。

 もう心は天丼と決めている。

 腹も天丼を待ちかまえてぺこぺこです。

 口の中も天丼臨戦態勢になっている。

 これで店が休みだったら、俺は地獄へ突き落されるだろう。

 遠くに白地に黒のシンプルな看板が見えた。嬉しくなってくる。足早になる。

 見えた。真っ白なのれんが揺れている。よし!

 引き戸はいつも開け放ってある。俺を待っていたかのようだ。席も空いている。

 座って「天丼」とひと言発す。

 店員が「天丼で」と返す。この「で」が付いただけのオウム返しの不思議な嬉しさ。「あと、お新香も」「はい」。無駄口ゼロ。

 ちなみに天丼五五〇円、お新香一〇〇円。この値段もシンプルで光り輝いているようだ。

 お茶とお新香が同時に出てくる。この緑茶がおいしい。厚手のオーソドックスな、昔の職員室にあったような湯呑みで供されるのも何か、心温まる。

 お新香は白菜漬けで、量もしっかりあり、出されるとき店員によって醤油がちょびっとかけられて出てくる。これが、適量。

 カウンターに醬油差しやら七味唐辛子がないのも、清潔感に一役買っている。

 店主の、筋の一本通ったところをかいま見るようだ。

 天ぷらが目の前で揚げられる。それがほぼ同時に入った客の分と自分の分であるのがわかる。

 その客もじっと天ぷらを見ている。彼と俺、今、心はひとつ。腹減った。

 そのうち味噌汁が出てくる。前兆だ。いよいよ、来る。期待が高まる。

 味噌汁をひと口すする。シジミ汁だ。俺のもっとも好きな味噌汁のひとつ。肝臓が歓声を上げるのが聞こえたような気がする。

 ご飯がおひつから丼に盛られた。このおひつのご飯がウマイのだよ。むふふふ。遠くから見てもウマそうだ。ツバが出る。

 お新香を一切れ食べて心を落ち着かせる。お茶ひと口。

 さあ、天ぷらがのった。タレがかけ回された。

 ここのタレは量が少なめな分、ちょっと辛目で、なんとなく江戸っぽいか?ああ、早く早く。

「おまちどうさま」

 はいはい、来ました。さあ、いただこう。

 何から行くか。俺は大抵、イカ。これをひと口。ウン、前歯で十分切れる柔らかさ。ぽってりと厚い。

 で、飯。うん。ふくよか。ああ、ウマイ。これだぁ。

 次、キス。これがまたうめえんだ。軽くてサッパリして。辛いタレとコロモがバッチリ。

 飯。エビ。うん、こりゃプリプリしていいエビだ。ウマイ。でも別に特別視しないよ。

 俺は平等に食べ進む。海苔。これがなんともウレシイ。お、海苔にタレが余計かかってる感じだ。職人さん、考えた?わざと?この部分は後半で、飯と天ぷらの帳尻を合わせるときに利用しよう。

 お新香で口直し。味噌汁。ここで初めて一息つく。

 無意識に前のめりになっていた背筋を伸ばす。しあわせ。

 もう一度天丼に立ち向かう。ボリュームがしっかりある。飯もしっかりある。

 サッパリした天丼だが、それでも天ぷらである以上、ある程度脂っこいから、食べ進むウチお新香がどんどん重要になる。そしてお新香がどんどんおいしくなる。たっぷりあることに感謝。

 食べ終わる頃はお腹がいっぱいで、体が発熱している。

 冬でもセーターの中に汗をかくほどだ。みんな黙々と食べて、幸福そうな顔をして出ていく。

 無口な店員が最後に言う「ありがとうございます」がしみる。心を込めて「ごちそうさま」と答えて席を立つ。

 幸福な俺は「さぼうる」にコーヒーを飲みにゆく。食い意地、鎮静せり。法悦。

今日ヤバイ屋台に行ってきた

今日 ヤバイ屋台に 行ってきた インドでメシ食って人生大逆転した男の物語

 人気のYouTubeの書籍化、面白くて、YouTubeも観てみようと思いました。

 

P9

 突然だが、インドはヤバイ。

 いきなりどうした?と思われただろうか。けれど、一度でも訪れたことがある人はたぶん、笑ってうなずくはずだ。

 僕はインドに生活の拠点を移して7年になる。いまでも自宅から一歩踏み出せば、想像もつかない「事件」ばかり目にしている。

 道端で、靴の片方だけ売っているおじさん

 路側帯で、うつ伏せになって昼寝をする人

 軽自動車に15人くらい乗って移動する大人たち

 中央分離帯で(川の字ではなく)一の字で寝ている家族

 買い物をすると、お釣りがきゅうりで返ってくる店

 海岸の波打ち際(満潮前)で熟睡する老人

 道路の水道管が破裂して、2、3メートル噴き上がる水

 その水で食器を洗うおじさん

 

「そんなばかな!」と思うかもしれないが、これすべて、嘘のような本当の話。日本で同じことが起これば、たぶんTwitterとかニュースで大騒ぎだろう。

 ・・・

 ・・・僕も気づけば7年も暮らしている。そう、いまや僕はインド大好き、いや、インドでなくては生きていけないほど愛してしまっているのだ。

 きっかけとなったのは「屋台」。

 インドへ移住し、働き始めてから1か月くらい過ぎたころ、同僚が屋台メシをごちそうしてくれた。チーズとバターがたっぷりのサンドイッチ。一口ほお張り、そのおいしさに感動してしまった。

 インドの屋台メシをもっと知りたい―。そうして僕は屋台街に入り浸るようになったのだ。

 思った通り、インドの屋台は面白い。まず、どの店舗も開放的で、調理の一部始終を観察できる。皆小気味よく動くが、だいたい大雑把。独創的な調理法だが、絶望的に不衛生。

 日本人が初めて目にすれば、ドン引きという意味で「ヤバイ」だろう。だが僕にとっては、ツッコミどころ満載という意味で「ヤバイ」のだ。

 そして、この屋台の面白さをYouTubeで発信することを思いついた。はじめての作品は、「インドのサンドイッチの作り方」というタイトル。

 ・・・

 ・・・動画の主役は、屋台メシとそこで働く店員たち。彼らの情熱的で、ときにヘンテコな姿をありのままお届けしている。

 一方で、この本は僕自身のエピソードにもスポットを当てている。

 動画の臨場感はそのままに、インドの人々との触れ合いによって得た、学びや成長もお届けしたかったからだ。

 先にも述べたが、僕は他人より劣ると感じながら生きてきた。けれども、インドにやってきてその悩みはすっかりなくなった。彼らと僕は、よく似ているのだ。つまり、お互い程よく力が抜けている。インドという国は、僕のことを「そのままでいいよ」という大きな懐で受け止めてくれたのだ。

 この気づきがあったからこそ、僕の人生は大きく好転したと確信している。

 

P77

 余談だが、別の屋台での衝撃的な出来事がある。料理を注文して、お金を渡したのだが、おつりの準備がなく、「さてどうしようか?」と言うことになった。

 店主はしばらく考えた後、「お釣りの代わりだ」と言って、キュウリを差し出してきたのだ。

 呆気にとられるものの、このときは「インドだから許されること」くらいのつもりで、まあいいか、と素直に受け取った。後日知ったのだが、こういった精神性をヒンディー語で「ジュガード(ジュガール)」というそうだ。簡単にいうと、問題を創意工夫で乗り越える考え方だ。

 日本の場合は、人やお金などの資源がないと「物事は進められない」という場面が多々ある。一方、インド人は違う。「困ったらジュガードを使おう」となり、いま手元にある資源が少なくても、創意工夫によってその場を解決に導く。まさにイノベーションである。・・・

 

P127

 そういえば、この日調理してくれた店員さんを、あれから見ない。どこの店もそうなのだが、屋台の従業員はとても軽やかに転職していく。別の店のなじみの店員さんも、「何かいい仕事ない?」なんてチャットで聞いてきたりする。別に不満があるわけでもなく、単に飽きた、という感じ。店側も「そういうもん」と思っていて、とくに止めないらしい。

 日本では「板につく」という言葉があるように、ひとつの役割を長く続けることでたどり着く境地もある。その一方で、彼らのように互いがストレスを抱えすぎない軽やかな考え方も一理あるように思う。

 

P183

 こうして日々、お姉さんと交流を深めてきたが、交わすやりとりは相変わらず、のんびりとしている。

「やあ、今日のおすすめは何?」「これがいいよ」「じゃ、お願い」「あ、今日は無理」「無理なんかい」……みたいなことを、いつもジェスチャーでやりとり。

 彼女はそんな風に、何かとたどたどしい。でも誇りを持って仕事をしている。堂々と助けを求め、助けられても礼も言わない。

 これは日本人から見ると、少々違和感があるだろう。だがインドでは、お礼を言わないことにも意味がある。親しい関係なら「ありがとう」は不要、という考え方があるのだ。僕もよく、親しい人に礼を言うと「ありがとうなんて言うなよ!」と諭される。なんて他人行儀な、というわけだ。

 ・・・

 周りに助けられながら、同時に「周りを幸せにする」と言う重要な役割を果たしているお姉さん。

 彼女のような人は、ほかの国によってはたいへんな生きづらさを感じるかもしれない。だけどインドには、危なっかしい人であろうと、「ほんとうに必要な人」として社会に参加できるだけの、大きくて深い懐がある。

 そう考えていたとき、知らず知らずに僕自身が救われていることに気づいた。

 じつは、僕は日本にいたころADHDの診断を受けている。集中力が続かず、計画を立てたり時間を守ったりするのが下手で、ずっとコンプレックスを持っていた。

 でも、インドにくれば全員僕みたい……いや、僕以上だ。底なしのアバウトで、しかもそれを自分や周りもまったく気にしない。

 つまり、そういう人たちが互いに助け合ったり、迷惑をかけ合ったりすることを前提にして社会を回している。それぞれが「自分にできること」を提供し、役割を果たしているのだ。

 お姉さんの姿を見て、僕は学ばせてもらった。そして「このままでもいいのだ」と、勇気にもなった。だから僕も、それを皆に伝えていきたい。

 彼女の屋台は、いまも日々、僕を元気にしてくれている。

 


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無限の本棚 手放す時代の蒐集論

無限の本棚 増殖版 ──手放す時代の蒐集論 (ちくま文庫)

 何かを集めたい人の心理分析が、なるほどと面白かったです。

 

P10

 二〇一二年十月二十七日、ぼくは古本屋をはじめた。

 ・・・

 店内にある本は、すべて自分で仕入れている。お客様からの買取りはしていない。ぼくが日本全国の古本屋を訪ねてまわって、そこで見つけてきた変な本だけを並べている。

 変な本というのはどういうものかというと、ひと言で説明するのは難しい。変なことが書いてある本、変な人が書いた本、普通の人は興味を持たないようなことを克明に解説した本、流行からズレた本、社会のルールから逸脱した本、だいたいそんなようなものだ。

 自分の店を「特殊古書店」と表現するときもあるが、そんなに大袈裟なもんじゃない。ただ、店内の棚の分類が「愛国」「お金持ち」「オカルト」「毛」「刑罰」「ご長寿」「大家族」「秘境と裸族」「埋蔵金」「水商売」「ラーメン」といったようなものだったりするので、まあ特殊古書店と名乗っても許されるのではないだろうか。

 営業形態は不定休で、営業時間もまったく未定。そりぁあ毎日定刻通りに営業したほうがお客様はよろこんでくれるだろう。でも、従業員はぼく一人だけだし、店の他にライター業(むしろこっちが本業)もやっているので、毎日店を開けられるとはかぎらない。打ち合わせで外出してしまうこともあれば、取材や古本の仕入れで遠方へ出掛けてしまうこともある。だから、店として営業できるのは、だいたい月のうち半分ほどだ。

 ・・・

 古本以外にも、いろいろと変なグッズを取り揃えている。いまあるラインナップは、ブルース・リーやジミ・ヘンドリクスの缶バッジ、ピップエレキバンのジグソーパズル、ファミコン以前の任天堂玩具、八〇年代アイドルのドーナツ盤、東宝怪獣映画の水野久美が出ているシーンだけを集めたプロマイド、ツタンカーメン展の売店で販売されていたツタンカーメン面(お面)……といったところだ。

 マニタ書房は、奇妙な本と出会えるかもしれないところ。なんだかよくわからない物がゴチャッとあるところ。頭のおかしなヴィレッジヴァンガード。そんな場所をイメージしている。小さな個人商店がどんどん消えていき、大型チェーン店ばかりが幅を利かせる時代だ。そんな店が一軒ぐらいあってもいいではないか。

 

P334

とみさわ 伊集院さんは子供の頃から蒐集癖ってありました?

伊集院 ありましたね。集めてずらっと並べてみたい願望。わかりやすいのは怪獣消しゴムなんですけど、ぼくらは怪獣消しゴムでトントン相撲をやってました。友達は相撲がメインだから強いやつを欲しがるのね。でも、ぼくは集めることがメインだから弱いやつでも欲しい。集めたい、コンプリートしたい、そういう気持ちは非常に強かったですね。

 ・・・

伊集院 誰かが作ったルールに乗っかるようなコレクションというものがつまんなくなって、その行き着くところとして「落ちている軍手」とか「歯医者の歯の看板イラスト」とか、そういうものを写真で撮り集めるようになりました。

とみさわ それは伊集院さん、エアコレクター心がありますね。

伊集院 めちゃめちゃあります。

とみさわ 似たようなもので、ぼくは道に落ちてる靴底の写真を撮ってます。手袋系は自分ではやってないんですけど、道に落ちてる片手袋はトム・ハンクスもやってますね。

伊集院 ぼくはいま、それがうまくウォーキングの趣味と重なって、同時にいくつか走らせてるんですよ。手袋でしょ、歯医者のマークでしょ、あと公園の遊具のひどいことになってるやつ。

とみさわ ああ、ペンキが剝れたり……。

伊集院 逆にペンキ塗られたりとか。あと食品サンプルって蝋でできてるから、日なたのお店のものは溶けてひどいことになってるの。それを見ることで食べたくなくなるような。それも写真を集めてます。

とみさわ むしろ逆効果な食品サンプル。エアコレクター心があると、旅行中も忙しくてしょうがないでしょう?

伊集院 忙しいですねー(笑)。そういう路上観察的に集めているものが一個でもあると、歩いているだけでも退屈しない。

とみさわ ぼくも古本の仕入れで日本中いろんなところに行くんですけど、とにかく集めるものが多くて観光どころじゃないですね。

 ・・・

伊集院 ・・・コレクションも物量や価格を競うことになってしまうとつまらないことになる。本気でビル・ゲイツが挑んできたら勝てやしないんだから。そうすると、プロコレクターとしての切り方とか、眼のつけどころみたいなことが重要になってくると思うんです。

とみさわ 物量を競う集め方は、最終的にみんな一緒になっちゃうんですよね。ぼくの持論のひとつに「コレクションとは新しい視点の提案である」というのがあります。伊集院さんのおっしゃる「切り方」というのも、まさしくそれですね。

 ・・・

伊集院 この本の読者に「ひどい趣味だな」って言われそうですけど、いま他人のコレクションをコレクションするってのにハマり始めまして……。

とみさわ なんですかそれ?

伊集院 ぼくの友達で電車マニアの渡辺くんっていう人がいて、全部の電車の駅に行くのを目標にしてるんですけど、彼がまだ行ってない駅にぼくが先に行っちゃうっていう。ぼくは電車になんの興味もないのに(笑)。

とみさわ わはは、ひどい!

伊集院 お金のない若手から「行ってみたいところがある」って話を聞くと、じゃあ行くための金は出してやるから、そのおもしろさをおれに説明してくれと。ヤーレンズの出井(隼之介)くんっていう若手はコーヒーマニアで、とにかくおいしいカフェに全部行きたいんだけど、一杯二五〇〇円のカフェなんて収入的に行けない。

とみさわ そりゃそうですね。

伊集院 だから、その金はおれがもつから、コーヒーマニアの人にとってこれがどう尊い一杯なのか、それをちゃんと説明してくれって。そういうのはお互いWinWinになるし、他人の信仰をコレクションするっていう。

とみさわ 優しい先輩じゃないですか。

 ・・・

伊集院 他に変な趣味で言うと、靖国神社のフリーマーケットって軍関係のものが多くて、戦時中にちょっと流通した絵葉書とか軍票みたいなものがよく出るんですよ。

とみさわ 場所柄そうなるでしょうね。

伊集院 その古い郵便物には受領印みたいなものが捺されてるんだけど、中にはそれが無いものがある。それを宛先まで届けに行くって謎の行動が。そのときに自分がタレントであることでの利点があって、アポなしで訪問してもそれほど警戒されないという。

とみさわ そっか。顔を知られてるから。

伊集院 行くと「あれ?伊集院さん何ですか」なんて言われて(笑)。

とみさわ えっ、それは何か番組の収録じゃなくて、プライベートで行くんですか?

伊集院 プライベートです。ただ、ぼくにはラジオがあるから、その体験がおもしろかったらラジオで喋ることができる。

とみさわ すごいなー。いや、今日の対談でどうしてもお聞きしたかったのは「著名人であるがゆえのコレクションの苦悩」だったんですよ。テレビで「何々を集めてます」って言うとファンがどさっと送ってくれて、一気に集まっちゃってつまらないとか。でも、いまの話は伊集院さんが顔を知られてるからこそで、その話のほうが断然おもしろいですね。

伊集院 おっしゃるように「集まっちゃうつまらなさ」はたしかにあるんです。あと「調子乗ってんじゃねえぞ」ってからまれちゃうとか(笑)。それはまあしょうがないことなんですけど、やっぱり顔が知られてるおかげで多少信頼してもらえるとか、教えてもらえたりとか、そっちの方に感謝しないと。あと、伊集院さんならこれを役立ててくれそうだからって連絡くれる人とかもいるんで、それはちょっと得ですかね。

 ・・・

 ま、いろんなコレクション話?をしましたけど、覆面歌手のレコードにこだわって集めるとか、フィギュアでも、太ったキャラのフィギュアだけを集めるとか、そういうふうに世界を切っていくのは大切なことで、その切り方のうまさは必要になってくるでしょう。

とみさわ 自分だけの視点ということですね。

伊集院 自分の手に負える寸法と、楽しめる難易度と、他人に話して楽しんでもらえるおもしろさと、プロコレクターの定義の一つは「切り方の巧さ」ってことでどうでしょう。

ラジオのすごい人たち

ラジオのすごい人たち: 今こそ聴きたい34人のパーソナリティ

 この本を読んで、一人でもラジオを聴く人が増えてくれれば・・・という思いから書かれたそうです。

 10年ちょっと前のものですが、ラジオ愛が溢れてました。

 

P64

 ・・・すべてに共通している特徴は「笑いに昇華していること」だ。そして、どんなことでも笑いに変える伊集院の生き方と、それを実現させられるだけの話術が、伊集院光をラジオスターたらしめているのではないだろうか。

 ・・・

 ・・・私は常々、抱えきれない悩みを持った人は『深夜の馬鹿力』を聴くべきだと思っている。誰もが同じように悩み、苦しみ、それでも生きていることが分かるからだ。悩み相談のようなコーナーはないので、具体的な解決法を書いてくれることはない。だが、「ままならない人生だけど、笑いにできたから差し引きゼロ」と(空元気でも)明るく語る伊集院やリスナーの声を聴けば、励まされ、明日も生きていこうと思えるのだ。

 伊集院光のスタンスを端的に表現している(と思う)投稿がある。

 

「土下座はしているが、顔は猪木の物真似。そんな反抗」(二〇〇一年四月三〇日「だめにんげんだもの」コーナーより。ラジオネーム仙台駅西口集合からの投稿)

 

 いくら負けようが、辛い思いをしようが心が折れなければいい。いや、例え心が折れたとしても、時間をかけて立ち直ればいいのだ。とかく、今は理不尽なことでも大声を出せば通る世の中になってしまった。そういう手合いは正面から意見しても聞く耳を持たないので、正論を語っているはずの自分が疲弊するだけの結果に終わることが多い。だったら、その場は引き下がったように見せ、『深夜の馬鹿力』に投稿したり、違うところで笑い話にした方が処世術としては賢いと、私は心から思う。

 いつからか、「変わること」「自分の力以上の結果を出すこと」が強く求められ、それに成功した者が評価されるようになった。しかし、本来は「自分の力を冷静に見つめ、できることを着実に積み上げていく」ことこそが大事なのではないだろうか。もう丸二〇年、人生の半分以上を伊集院光のしゃべりを聴くことに捧げてきた私が、最終的に至った考え方である。翻るに、伊集院光がラジオでしゃべっていてくれたから、私は今日まで生きて来られたのかもしれない。だとすると、いくら感謝をしてもし足りない。私のような人間の救いとして、いつまでもラジオで、夜を主戦場にしゃべり続けてくれることを、切に切に願う。

伊集院光の今週末この映画を借りて観よう vol.2

伊集院光の今週末この映画を借りて観よう vol.2

 こちらは2巻目です。

 

P56

伊集院 脚本家の山田太一さんです。よろしくお願いします。

山田 よろしくお願いします、どうも。

伊集院 来ていただけると聞いてから何を聞こうかと、いろんなことを考えているうちに訳がわからなくなっちゃって、失礼かもしれませんけど。

山田 ええ、ええ。

伊集院 漠然としておりますが、81歳になられたと(収録当時)。僕、先輩方によく聞くことなんですけど、80歳ってどうですか?

山田 やあ、人ごとみたいですね。うーん。70歳になったときにね、「ああ、もうじき死ぬな」と思って、なんかそういう姿勢でいたけども、もう死にそうな80歳になったんで、70歳になったときを思い出して、「ああ、そんなふうに先走って『死んじゃう』なんて決めなくてもまあいいか」と。

伊集院 僕ね、30歳のときも40歳のときも、50歳に近づいてきたなと思うときも、大体落ち込んでいるんです。

山田 そういうもんですよね。

伊集院 でも先輩方から、「そういうもんです」と言われるとすごくホッとするんです。

山田 そういうもんです。あの、外国の作家ですけれども、ミラン・クンデラという人がね、「人間というのはいつも、知らない人生を知る前にその人生を生きなきゃならない」って。つまり恋愛というのは、どんなものか知らないうちに恋愛をしなきゃならなくなる。結婚も結婚するときに結婚の現実なんて知らないです。老年もみんな老年を知らないで老年になってしまう。だからこの宇宙は未熟な宇宙だというようなね、言い方をしているんですよ。そういう〝知らない〟ということが、生きる活力にもなってるのかなと思いますけどね。

伊集院 まさにそこが聞きたいところで、だって40歳のときに書かれた脚本にも80歳の人が出てくるわけじゃないですか。それなりに普通の人よりは80歳について想像はしてるお仕事ですよね。でも、その自分で80歳を体験したときには……。

山田 違いますよ、やっぱり。

伊集院 面白いもんなんですか?80歳は面白いと思うこと、一個でいいんで欲しいんです。

山田 まあ70歳からそうだけど、もう女の人にモテようなんていうことの関心がなくなってしまった。

伊集院 えっ、なくなるのはいいこと?悪いこと?

山田 いいことだと僕は思いますね。80歳くらいになってね、まだ俺モテるかな、なんて思っているのもみっともない。

伊集院 想像すると、10代の頃から一番の関心ごとなのに、僕なんかちっとも得意でなかったことが、いよいよ関係なくなるというのは、ちょっといいですね。

山田 気楽になりますよ。それでね、女の人のね、人柄のよさなんかが見えたりします。

伊集院 老年になってくると、そこが見えてきます?

山田 ええ。若いときはね、やっぱり形がいい人、セクシャルな人とか。それがね、ふっと取れちゃうのね。それで、その人の人柄、付き合いのよさとか、いろんなものがちょっと見方が変わったなっていう。「きれいだからって何?」って感じになってくるんですよ。

伊集院 そうか、そこがフラットになると、異性も同性も本質が見えてくるのかもしれない。

山田 それから、木下晋さんという画家がいらっしゃって、鉛筆で大きな細密画を、老人ばっかり描かれるわけですよ。老女を特に。それで、そのシワたるやすごい細かさなんですよ。それで、「どうしてこんなに上手な方が、きれいな女の人を描こうとお思いにならないんですか?」と聞いたら、「シワのない肌はつまらない」とおっしゃったんですよ。

伊集院 いい言葉だ。

山田 ちょっと意表を突かれてね、ああ、なるほどなと。この人はシワ2つか3つあるからいいなって思ったりするんだって。

伊集院 すごい。それめちゃめちゃ教訓が入っていると思うのは、まあ近いところで言うと、CGの美女ってつまんない。

山田 つまんないですね。

伊集院 ほんとにつまんないですよ。・・・もうひとつ言うと、ぐっと飛躍しますけど、ネットのグルメサイトっていっぱいあるでしょ。そうするとね、ベストテンのところから食べに行ってると絶対にうまいんです。でも、つまんないんです。「こいつよく店を持てたな」っていうとんでもないところに当たらないんです。

山田 そりゃ、当たんないでしょうね(笑)。

伊集院 このね、「店を持ってるプロの料理人が、よくここにパイナップル入れたね」っていうやつに会わないんです。だから、エラーのない人生はいいかもしれないけど、つまんない。

山田 その通り。・・・

 

P138

 みうらじゅんさんについて今さら何を書こう。みうらさんについて書いたりしゃべったりするときに「尊敬する~」と頭につけるくらいリスペクトしている。

 間抜けなエピソードは、ご本人が書いたりしゃべったりしているので、ここでは、尊敬するみうらじゅん氏が僕にくださった名言を取り上げたい。

 終わった仕事を、ああすればよかった、もっとこうできるはずだったと反省するのは間違ってる。終わったことを40点だったと感じたならば、それは、始める前に設定した100点の基準のほうが間違っていて、終わった仕事は全部100点満点だ。

 みうらじゅん大先生がこの言葉を言った場所は、アルバイト店員が「お願いだからもう帰ってくれないか?」という顔をしてた、明け方の居酒屋エンジョイ天狗でのことだったし、話の前後に、男の乳首に関するまったくどうでも良いエピソードが散りばめられていたけど。

「あいつはプライドを捨てた」とか言う人がいるけど、ピンチのときに、プライドをちょっと横に置いておくくらいなんでもないよ。キチンと汚れないように風呂敷で包んで、あとで拾えるように置いた場所を忘れずに、一旦横に置いときゃあ良いんだよ。

 この言葉にも助けられた。居酒屋魚民で、剃毛の話をしている合間に出た言葉だけど。

 今回のトークの中でも、尊敬するみうらじゅん大先生は「映画をすべて『いい』『悪い』で考える人いるじゃないですか?『つまらない』とか『面白い』とか。そんなんじゃないです。縁です。すべて縁です」という格言を残されている。ただ、それが「わさお」トークの中なんですよね……いや、そこがいいんじゃない!

 

 

 ところで3日ほどブログをお休みします。

 いつも見てくださってありがとうございます(*^^*)

 

伊集院光の今週末この映画を借りて観よう vol.1

伊集院光の今週末この映画を借りて観よう vol.1

 ラジオが本になったものを読みました。面白かったです。

 

P33

伊集院 さあ、そんな中、宮藤官九郎が今回薦める映画はなんですか?

宮藤 『マッキー』というインド映画なんですね。

伊集院 インド映画?これ2013年公開ってことは、少しでもヒットしていたら、いくら僕でも記憶にありそうなんですけど、当たったんですかこの映画?

宮藤 多分まったく当たってないです。・・・

伊集院 パッケージに「世界初、ハエがヒーロー。殺されてハエに生まれ変わった男が愛する女性を守る姿を描いた」って書いてあるんですけど(笑)。〝殺されてハエに生まれ変わった男が〟ってことはさ、〝ハエそのもの〟が主人公ってことですよね?

宮藤 そうです(笑)。だからどうするのかなあって思って。だいたい現実的に映画のルールにとらわれると、キャスティングとかするときにですね「冒頭40分ぐらいでハエになっちゃうんですけど」って言わなきゃいけないじゃないですか?

伊集院 しかも主役を張れる男にですよね。

宮藤 そうです、向こうで言ったらスターに、「すみません、40分ぐらいからはハエなんですけど」って言わなきゃいけないって結構大変だなと思って。しかも声は人間とかですらないんですよ。ハエなんですよ(笑)。

伊集院 えー?じゃあ殺されるシーンが終わったら「お疲れ様でした!」って形になるわけですね?

宮藤 そうです。・・・

伊集院 これ見どころ3つもらうんですけど、ポイント1は?

宮藤 そうですね。いろいろあるんですけど、まず一番は悪役のあまりにも悪役芝居の美意識の高さと、主人公のあまりにも〝KY〟のところ。頭40分がめちゃくちゃ面白いんですよ。ハエになるまでの過程も、「別にいいんじゃない、ハエにならなくても?」みたいな(笑)。それぐらい魅力的なやつなんですよ。「え、これハエになっちゃうの?こんなに面白いのに?」っていう。

伊集院 へー。そのハエになるまでのところですでに面白いんだ。

宮藤 そうなんですよ。途中にミュージカルもあるし。

伊集院 続いてポイント2ですけど。

宮藤 ポイント2はハエのしつこさと、リアリティ、そして徹底的な復讐。自分を殺したやつをハエに生まれ変わって復讐しに行くんですね。その方法が最初は耳元で飛ぶとか。ブーンって。それぐらいのことなんですけど、そのうち体を鍛えだすんですよハエが。これがよくできた設定なんですけど、彼女の趣味がミクロアートっていって、ミニチュアみたいなものを作るやつなんですね。だからハエになった彼のために鍛えなきゃって鉄アレイを作ってあげたりとか、ハエ用の。なんかほかに手がないのかなって思うんですけど。

伊集院 そうですよね。ハエの筋力を上げるって相当遠回りですよね。

宮藤 でもめちゃくちゃリアリティあって、重いもの運びながら飛んだり、すっごい鍛えるんですよ。

伊集院 ハエの身体鍛えるって発想ないよね。

宮藤 そうですね。あとは、火薬を集めて爆弾を作ったりとか、小さいからこそできることをやっていくんですよね。

伊集院 3つ目は?

宮藤 3つ目は、そのハエが最終的に踊るんですよ(笑)。

伊集院 もうインド映画は踊らないと許さないみたいな(笑)。

宮藤 そうなんです。やっぱ踊るんだって。そのミュージカルシーンが最高なんですよ。小さいから、いわゆるアーティストが豪華な照明機器を背負って歌ってたりする、あれがスマホなんですよ。スマホの前で踊ってるだけなんですけど。

伊集院 大型ビジョンみたいなもののかわりに、スマホの画面の前でみたいな。よく考えたな、なんかちょっとすでに楽しそう。

宮藤 そう、よくこれ考えたなって。もう素晴らしくてアイデアが。僕の次の映画のスタッフにこのシーンを観せて「こういうことできませんか?」って言ったら、スタッフが黙って観たあとに「ふふ」って鼻で笑って「やりましょう」みたいな。