高峰秀子さんの選んだおはなし、味わい深かったです。
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海老フライの旦那と大盛りの旦那 ほか 茂出木心護
毎週、火曜日と金曜日の開店(十一時)十分前にいらっしゃるお客さまは、決まって海老フライをご注文なさいます。近ごろは、あたしどもも心得て、お客さまが黙ってすわられても海老フライをお出しするようになりました。
あるとき、
「月曜日から土曜日まで、召し上がるものが決まっておられるんですか」
とうかがいましたら、
「月曜日はうなぎ、火曜日は海老フライ、水曜日は日本そば、木曜日はうなぎ、金曜日は海老フライ、土曜日はお寿司屋で日本酒二本に鉄火巻き。これを三年続けている」
とよどみなくお答えになりました。店では、
「海老フライの旦那」と申し上げています。
月曜日から土曜日まで、毎日いらっしゃるお客さまは、カレーライスと小さいラーメンを必ずご注文なさいます。ただ、カレーライスにつく福神づけはおきらいです。もう五年ほどお見えになりますが、時間は午後二時ごろ、店がちょっとすいたときで、腰かける場所も決まっておられます。
五年のあいだにはいささか変化もあり、以前は食欲旺盛でカレーライスの大盛りでしたが、最近は普通のを召し上がっておられます。あたしどもは食欲の盛んなころをなつかしみ、今でも「大盛りの旦那」とお呼びしております。
そのほか、お昼の食事のときに必ず小さいビールをお飲みになるかたや、「決まったテーブルでないと食べた気がしないから、いちばんすいたときに来るのだ」とおっしゃって、夕方四時ごろお見えになり、ビールとタンシチューか活車海老フライを召し上がるお客さまもございます。
・・・
入院されたお客さまから、ポタージュスープのご注文がありました。お気に召してお代わりを取りにこられたかたが、「病人の希望ですから、生クリームは入れないでください」と念を押されました。あたしとしてははじめてお作りするとき、寝ておられるので、あまりしつこくてもと思い、はじめから入れてなかったのです。「コンソメではいかがですか」とおうかがいしましたが、やはりポタージュとおっしゃるので、あっさり作るのに苦労したことがあります。
口の悪いお客さまが、のどを悪くされてご入院。塩、こしょうで味つけしないコンソメスープとのご注文がありました。お持ち帰りになったお使いが翌日お見えになり、
「おやじは『おれののどの悪いのを知っていながら、茂出木はこしょうを入れたに違いない』と申しました」
とおっしゃるのです。
ご病人のことゆえ、それは気をつかい、栄養をつけて一日も早くよくなっていただこうと、牛肉、ガラ、野菜、卵白を一番スープとこねて、煮立つまでかき混ぜ、あくをひいた本格的スープを差し上げたのですから、このときはあたしもまいりました。
さてそれでは、きっとこくがありすぎたのだからと、今度はご病人ののどの具合まで気をくばり、普通にとったスープをお持ち帰り願ったら、お気に入られたということでした。本格スープは味が濃いせいで、のどにしみたのでしょう。むずかしいものです。
店に四十三年間も来てくださっているお客さまが入院され、牛ヒレ肉のよいところで、ハンバーグをとのご注文がありました。電動式のひき肉機では、二人前以上でないとかかりませんし、職人気質として、そんなよいところをひき肉にはできないものです。
素人にはわからないんだから、どの部分の肉でもよいではないか、とお考えになるかもしれませんが、それは良心が許しません。一世一代の仕事と思って作りました。特別料理のお代をちょうだいすればよい、とおっしゃったかたもございましたが、品物がハンバーグでは、いただけないものです。
式場隆三郎さんがご病気の折、メロンのシャーベットをとのご注文があり、メロンの熟れたのからジュースをとりましたが、なかなか汁が出ず、あのときは苦心しました。昔風とおっしゃったので、茶筒に汁を入れ、まわりに氷を詰め、若い者が交代でぐるぐる回してこしらえました。たいそう喜ばれて、再三ご注文があったことを覚えております。
食べものが唯一のお楽しみの入院生活中、あたしの店を思い出されて注文してくださることに、職人冥加を感じております。
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茹玉子 水野正夫
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・・・茹玉子、これ以上の味はないと思って食べた事がある。
今想い出しても、あれ位鮮烈なおもいで茹玉子を食べた事はない。
あの大東亜戦争の真最中、私の生家、名古屋の熱田もB29の猛爆を受けた。
その頃私は東京外語の学生。東京も危なくなったので帰郷中、その時我家も丸焼け。
商家だった大きな家を、兄と二人で最後迄守りつづけたが、あの猛火には如何ともしがたく、表は兄に任せ、私は誰も居ないガランとした家の中へ戻った。
誰も立ち働いていない台所の土間は、妙に広さを感じた。
そして人の居るように全ての物がそのままだった。
あの猛火の最中、冷静に辺りを見渡して、さてどうしようかと考えた。このままこの家が焼けたら、寝る事、当座食べる事……。
先ず家中のふとんを持ち出して井戸の中へ放り込んだ。
その井戸は勿論手押しだが、内側が二重になっていて、水のある所は金網でカバーしてあり、その囲いはぐるっと空地のようになっていた。
とにかく、その所へふとんを投げ入れた。
さてと、今度は食糧、開きになった押入れを開けるとあるわあるわ、その日に田舎から届いた米が大きな米櫃に一杯。そしてこれは、大ざるに山盛りの玉子、優に百個はあったと思う。
自転車を持って来て、米櫃を荷台にくくりつけたが、玉子はどうにも持てなくなった。
井戸を覗いたが、これだけの玉子を放り込んだら、これはいくらふとんの上でも割れるのは理の当然。
さてどうしよう、と、庇に火の付いた土間に立って考えた。
その時井戸の前の大きな水瓶が目に入った。人間が二人位は入れそうな水瓶は、何時も井戸から水を組み入れては使っていた。
ざるごと持って当がってみたら、入る。よし、とばかりにそのまま手を離した。ざぶーッ、という気持のよい音を立て、玉子百個は瓶の中へ、そして屋根の焼け落ちそうな気配の家を後にして一目散に自転車に乗って逃れ出た。
その翌朝。
煙でしょぼしょぼした赤い目で、家中のものが何もない、見違えるように何もない我家へ戻って来た。
生まれてから初めて見る、我家の広さ。思ったより狭い我家の跡であった。
そこで見た異様なもの。囲りの煤けた、煙ったい、余燼の残った辺り一帯等しく汚れた中に、一際美しく白い大きな塊が目に入った。
ざるに積み上げられた、見事な茹玉子がひとつも壊れる事もなく、ピラミッド状に聳えていた。
水瓶の囲りはきれいに割れて、残った底だけが具合よく、蒸器のような具合にざるを支えていた。
近所の人も誰かれとなく、この異様な玉子の塔に近づいて来た。
触ったら、ほんと、今茹で上げたように、熱い玉子の殻の感触があった。
美味かった。
一晩中ほっつき歩いた末にありついた、初めての食べもの。
父が云った。
「そりゃそうだろう。家一軒焼いて茹でた玉子だもの。美味くない訳はないよ」






