笹本恒子さん

97歳の幸福論。ひとりで楽しく暮らす、5つの秘訣

 何歳だから・・・というのは、個人差があり過ぎて考えなくていいことみたいだと、この本を読んで改めて思いました。

 こちらのサイトに

www.jrockpeople.com

最近のインタビューが掲載されていました。

 

P104

 わたくし、96歳まで自分の年齢を一切言わなかったのです。仕事のアシスタントをしてくれた姪なんか、よく「言いたいわ~」と焦れていましたよ。「年齢を教えて、みんなのびっくりする顔が見てみたい」ですって。

 各界で活躍する明治生まれの人たちを取材した〝明治の女〟シリーズの仕事をしているとき、わたくしは70~80代。100人ほど撮影しましたが、中には3つか4つしか、年齢の違わない人もいたのです。

 ・・・

 取材に行く先々で「笹本さんはまだお若いから」と言っていただいたけれど、内心は「そんなに変わらないんだけどな」って。もちろん、しらんぷりしてカメラを向けていました。

 なぜそこまで歳を隠していたかと言えば、それはやっぱり、ずっと仕事をしていたからです。

 70いくつ、80いくつ、と公言すれば「そんなやつに写真が撮れるのか」と、こう思われてしまうわけです。日本では特にそうですね。

 女だから、高齢だから、で信用してもらえないことが多々ある。

 ですから年齢を言わないことは、わたくしの〝自分への約束事〟でした。仕事を続けるため、ずっと現役でいるための〝約束〟。若く見られたいとか、決して、そういうことではないのです。

 96歳まで年齢をナイショにしていましたが、年齢を伏せて生きるって、これが結構大変なこと。

 あるとき、友達がご主人に、わたくしが年齢をあかさないことを話したのだそうです。それを聞いたご主人は、彼女にこんな言葉を返したとか。

「年齢を言わないというのは、実はとても難しいことだ。いつ、どこから見られても、年齢を悟られないような努力が必要なんだよ」

 そう!そうなんです!彼の言う通り、エイジレスで生きるためには、たえず〝緊張〟と〝努力〟が必要なのです。

 ・・・

 座るときも、立つときも、歩くときも、背筋をピンと伸ばす。歩幅を広くとって颯爽と歩く。「疲れた」は禁句です。自分を甘やかしません。

 わたくしももちろん、都内を走るバスのシルバーパスというものを持っています。70歳になるともらえるそうですから、実はずいぶん前から、ね。

 ひとりのときは、パスを使います。でも以前は、誰かと一緒のときにそれを出せば、70歳以上だということがバレてしまう……。だから一番最後にバスに乗って、こっそりパスを出したり、場合によっては均一運賃の200円を払ったことも。こんな涙ぐましい〝努力〟もしてきたのでございます。

 

P152

 2001年のこと。ニューヨーク在住のヒガさんという日本人の知人がいてね。「今度のバカンスには、南フランスへ料理を習いに行くんだ」と言うのです。「いいなぁ、わたくしも行こうかしら」とつぶやいたら、「笹本さんも行こうよ!でもホテルなんかないところだよ。オヤジのうちに泊まるんだ」って。「あら、わたくしも泊めていただけるの?」「広いから大丈夫」

 それで南仏の田舎町へ出かけて行ったのです。ヒガさんの奥さまはイギリス人で、彼女のお父様がその土地に暮らしていました。

 ・・・ひろーい敷地で、プールもあるの。畑も作っている。そこに彼は暮らしていました。10年ほど前に奥さまを亡くし、ヒガさんの奥さまである娘も、息子も、遠く離れたところに住んでいるのでひとり暮らしです。

 とても素敵な方でした。俳優さんみたいな風貌で。彼はもともと彫刻家で・・・毎日畑を耕し、プールで泳いで、彫刻をして暮らしている。お料理がばつぐんに上手でね、自分で作った新鮮な野菜でおいしい食事を作ってくれました。

 それから毎年、その方とわたくしはクリスマスカードをやりとりするようになったのです。彼は自分の撮った写真を一緒に送ってくれたりもしました。

 そして2010年の秋。東京・目黒のギャラリーで開いた『恒子の昭和』の写真展のあとに、わたくしはニューヨークへ撮影に行きました。ヒガさんのおうちにも2晩ぐらい泊めていただいたのです。そのときにヒガさんの奥さまが、南仏のお父様のところへ電話をかけたのね。「今、笹本さんが来ているのよ」って。すると、お父様が電話の向こうで「笹本さんはまだ独身かね」と聞いたんですって。「そうらしいわよ」と彼女が答えると、こうおっしゃったそうです。「そうか、俺のようないい男はまだ見つからないのか」・・・

巻き尺疑惑

ベンチの足 (考えの整頓)

 全国の巻き尺への疑惑を晴らしたいというこのお話、私も深く考えたことなかったので、へぇ~と思いました。

 

P152

 今日は、あるものに掛けられている無実の嫌疑について、それを晴らすべく、筆を起したい。

 それは、我々の生活においては些事中の些事と言ってもいいほどのことである。しかし私自身、人生数十年にもわたり、余りに申し訳ない誤解をしていたこともあり、悔悟の念から伝える責務を勝手に感じているのである。

 そのあるものとは、おそらく皆さんのご家庭にも一個くらいはあると思われる、金属製の巻き尺(メジャー)のことである。なんだメジャーかと思わずに、私の話を聞いてほしい。多分、いや間違いなく、あなたも誤解しているに違いない、そうでなければ、まったく気にしていない、そのどちらかである。こんなにも素晴らしい先人たちの知恵と工夫を知らずして、それどころか誤解したままメジャーを使うなかれ、なのである。

 ・・・

 まず、メジャーの測る部分の先端を見てほしい。

 ひっかけるような金属の爪が付いている。目盛りのあるテープもやはり金属製だが、白の塗装がされている。

 通常、金属の爪は二つの鋲でテープに取り付けられている。問題は、この爪である。触ってほしい。すると何やらカチャカチャと弛んではいないだろうか。鋲が二つもありながら、微妙なずれがないだろうか。

 ・・・

 もしかして不良品を買ったのか。いや、家にあるもう一つの別のメジャーも同じである。この部分は、素材的に、あるいは構造的に弛みやすいのか。それにしても測る道具が、こんなことでいいのだろうか。・・・

 さらに、目盛りをよく見てみると、最初の1センチのところ、微妙に短く感じないだろうか。気のせいかもしれないが、何やらちょっと短く感じてしまうのである。1~2ミリほどだろうか?短いとしたら、やはり不良品か。何かの拍子に削れたのか。お宅のメジャーはどうであろう。

 一年間で数回あるかないかのメジャーとの付き合いで、私がこのガタつきや微妙に短い1センチに対して、取ってきた態度はどのようなものであっただろうか。

 ・・・

「鋲で金属を取り付けるのって、難しくて、すぐガタが出るものなんだよ」「1~2ミリなんて気にしないで、もっと大らかに生きようよ」「正確に測る時はメジャーじゃなく、ものさしを使えばいいじゃないか」などなど。

 しかしそれらは、すべて誤りであったのだ。メジャーに対して何ていう失礼な態度。憐れみや情けさえかけていたのだ。何という傲慢さ。すまないメジャー。

 実は、このガタつき、意図的であったのだ。きちんと測る工夫だったのである。だから新品であろうとガタついていたのだ。

 メジャーの使い方は二つある。測るものによって変わる。

 一つは先の爪を押しつけて測る(写真C)、もう一つは、先の爪をひっかけて測る(写真D)、である。測るものに応じて、二つの使い方ができるのである。

 

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 ここで、考えてほしい。写真Cでは、金属の爪の厚みを含んで測っていることになる。なので、爪の厚みを入れてちょうど1センチになるように目盛りが打ってある。つまり、爪の厚みの分だけ、最初の1センチは短いのである。測ると爪の厚みは1ミリであった。すなわち、最初の1センチは9ミリということになる。だから微妙に短く感じていたのだ。

 それに対し、写真Dでは爪の内側から測っている。この場合は爪の厚みは測った長さに含まれない。すると、短い1センチのまま、測ることになりはしないか。

 いや、ここにも工夫があるのである。目を凝らして写真Dを見ると、爪とテープの先端との間に、ほんのわずかな隙間が空いている。テープが右にカチャッとずれて、隙間を生んだのである。この隙間は1ミリで、短い最初の1センチ(実質9ミリ)をちょうど補填しているのである。

 先頭の爪がカチャカチャと動いてしまっていたのは、この二つの測り方にその都度、スライドして対応した結果なのであった。

 何というきちんとさ、何という叡智。

 私たちが無意識にちゃんと測れるような作りだったんだ。

 許せ、全国のメジャーよ、私たちの誤解を。

 安物だからガタつきがある、古いから壊れている、不良品だった。とんでもない濡れ衣だった。

 ・・・

 私たちは、本当はいろんなことに気がついている。

 メジャーのガタつきも、最初は何か変だなって、微かに思ったに違いない。

 でも、何故か、それを抑え込む。気にしないようにする。その方が楽に生きられるのであろう。その選択の結果が、このメジャーに与えた屈辱的とも言える誤解である。まったく気がつかないのなら、やむを得ないとも言える。しかし、私たちは、無意識に近いところで、微かに気がつくのである。私は、メジャーに、もう何十回いや何百回も触れている。その度に自分に言い聞かせていた。「気にしない、気にしない」と。

 その態度を思い出す度に、腹立ちさえ覚える。何に対しての腹立ちなのか。それは、メジャーにかけてしまった誤解にではない。寧ろ、その後にメジャーにかけてしまった憐れみや思いやりにである。

 私は、自分が勝手に生んでしまった疑惑を追及するどころか、それに対して自分をいい人として存在させていた。

 許せ、メジャーよ、この冤罪にも似た汚名を与えたことを。

ボールペン奇譚

ベンチの足 (考えの整頓)

 佐藤雅彦さんのエッセイ集、面白かったです。 

 こちらは「ボールペン奇譚」というお話です。

 

P40

 私には、二十年来、連れ添ってくれている愛用のボールペンがある。

 ウォーターマン製で、中字用の太さでインクは青を使っている。

 丁度二十年前の1991年、ある賞を頂いた時に、知人からお祝いにプレゼントされたものである。

 使ってみると、やや太めで滑らかに書ける感触とインクの気品のある青さが気に入って、当時、筆記具と言えば、このウォーターマン一本で通していた。

 ・・・

 昨日の夜明け前、私は土曜日に行われる数学の勉強会の準備をしていた。

 ・・・

 パズルとして有名な問題だが、グラフの考え方で解くとどうなるか―。

 ・・・

●狼とやぎとキャベツのパズル

先生 正子ちゃんは狼とやぎとキャベツのパズルを知っていますか?

正子 はい。船頭さんが、狼とやぎとキャベツを向う岸に運びたいのだけれど、船頭さんがいないときに狼とやぎを同じ岸に残しておくと、狼がやぎを食べてしまうし、やぎとキャベツを同じ岸に残した場合にも、やぎがキャベツを食べてしまうので、そのようなことが起こらないようにしてうまく運べるか?ただし、船には狼とやぎとキャベツのうち高々1つしか積めないとする。

先生 船頭をF、狼をW、やぎをG、キャベツをCで表すことにすると、向こう岸の状態は S:={ F, W, G, C } 

 ・・・

 ここで登場したのが、我がウォーターマンであった。

 久々であったが、いつもの書き味である。

 しかし、私は、書きだしてまもなく、妙なことを思った。

「そう言えば、このウォーターマン、ずっと使っているけど、インクの芯を替えたことあったっけ?十年前くらいに一度替えたような気がするけど……、それにしても保つものだなぁ」

 ・・・

 ・・・問題を解いていて、ひとつ引っかかっていたことがあった。

 ・・・ノートに書く時、いちいち狼とかやぎとかキャベツとか記すのが面倒なので、WやGやCといった記号で略していた。狼はwolfだからW、やぎはgoatだからG、キャベツはcabbageだからCと、記号でも頭文字だから憶えやすい。でも、船頭のFって何だろうか。

 ・・・

 ノートには、愛用のウォーターマンで、まず船頭と書き、その右側に、英訳を書こうとしたのである。しかし、なんということか、「頭」という字の途中で俄に掠れてきた。

 あれインクが……、インクが出ないぞ。何度も、ノートの紙にボールペンの先を擦り付けたが、もう掠れたインクさえ出ず、ノートにはボールペンによって刻まれた筋ができるだけであった。ウォーターマンは最後に「船頭」と書いて、息絶えた。

 私は、少なからず驚いた。「いつまでインクが保つんだろう、このウォーターマン」って思った矢先の出来事だったからだ。不思議な気持ちを覚えたが、よく考えれば、丁度使い終わりの直前にその寿命の長さにふと気付くのは、客観的に考えても一応筋は通っている。私はこの偶然を気にしないように努めた。そして、引き出しから事務用の水性ボールペンを見つけ、その後を続けることにした。

 さて、辞書には、三つの英訳が載っていた。

【船頭】 a boatman, a waterman, a ferryman(渡し船の)

 それを順に、ボールペンで書いた。

 ―そうか、もしかしてFとはferrymanの頭文字だったのか、と思った時、急に心がざわめき出した。今、自分は何て書いた?

 ねぇ、自分は、今、何て書いた⁈

 そう、ウォーターマンのインクが無くなって、別のボールペンによって書かれた文字の真ん中にwatermanがあったのである。

 私は、一連で起こったこの事全体も、取るに足らない偶然として片付けなくてはいけないと思い、必死に「何か」に抵抗した。単に、十年近くもインクが切れたことがなかったが、その時はいつか必ず来る。それがこの夜明け前にたまたま来たに過ぎない。そして、ウォーターマンのインクが最期を迎えたその瞬間、ある調べごとがたまたま生じていたに過ぎない。それが、数学の問題にたまたま出てきた「船頭」という言葉の英訳だったに過ぎない。そして、船頭の英訳のひとつにwatermanがあっただけの事なのだ。

 人間は、ある傾向を持っている。あまりに稀有な事柄が立て続けに起こると、何かの存在を信じざるを得ない。そうでもしないと、起こり得ない事が起こってしまった現実の説明がつかないのだ。今の私がそれである。・・・

 

高野誠鮮さんとのお話

「心」が変われば地球は変わる (扶桑社文庫)

ローマ法王に米を食べさせた男」高野誠鮮さん

greenz.jp

木村秋則さんの対談が巻末に載っていました。

 

P205

高野 「腐る」と「枯れる」。・・・これは青森県弘前市で自然栽培の野菜をつくっている農家、成田陽一さんのトマトなんです。これは、枯れてるんですね。皆さんがふだん召し上がっているトマト、放置すると腐りませんか?自然栽培のトマトは、放置しても腐らないんですね。ただ、枯れていくんです。

 ・・・

 先ほどはトマトの話をしましたが、コメはどうなるかというとですね、私も実験をしました。自然栽培のコメをコップの水につけておくと、ものすごい甘い香りがしてきて、気がつくとどぶろく(発酵させただけの白く濁った酒)ができてるんですよ。・・・古代は、おそらく自然におコメが発酵して、どぶろくができていたはずなんです。・・・

 ・・・

 私には日蓮宗の僧侶という別の顔もあります。昔の僧侶は、死んだあとは腐らず、実は〝枯れた〟んですよ。これはどういうことかというと、東北地方に多い、即身仏のあるお寺へ行っていただくとおわかりになると思いますが、即身仏になった僧侶はミイラになっているのです。ですが、最近の僧侶って、腐るんです(笑)。

 腐るということは、肉体が〝自然栽培じゃない〟のですよ。はっきり言って申し訳ないですが、間違ったものを食べたり、間違ったものの考え方をすると、肉体どころか心まで腐るのが人間なんですね。・・・

 ・・・

 僕が驚いたのは、木村さんがおっしゃることって、法華経の世界観に通じるものがあるんですよ。最初にお会いしたときに、「木村さん、法華経というお経を読んだことありますか?」と聞くと、「私は浄土真宗だから、そんなもの読んだことない」とおっしゃるんですけど、木村さんが語ること、見てることが、もう法華経の世界観なんですね。

 それから宮沢賢治と同じような世界観を、木村さんに感じたこともあります。・・・単純に言うと、「敵はどこにもいない」「無用な生物は地球上にはひとつもいない」「すべて仏性を持ち生まれている存在である」ということです。

 ・・・

 自然栽培にはもうひとつ特徴があってですね、僕は木村さんの畑へ行ってリンゴをいただいたときに、ある実験をやったんですね。ホテルに戻ってから、バスタブに水を張って、リンゴを浮かべてみたんです。そうしたら見事に沈みました。決して浮かないんですね。

 ・・・

 皆さんがふだんお食べになってるリンゴ、水に入れるとぷかぷか浮きませんか?木村さんのリンゴは沈んじゃったんですよ。

 ・・・

 岡山県にある「なんば桃園」の難波朋裕さんがつくっている自然栽培の桃もいただいていたので、桃でも実験させてもらいました。やはり、自然栽培の桃も沈むんですね。・・・

 ・・・

木村 いやあ、何も与えないで自然の力で育ったものというのは、ひとつの形の大きさになるのに、細胞が分裂して大きくなったと私は思うんです。ところが肥料や栄養を与えると、輪ゴムが伸びるように肥大していってるのではないかなと。だから肥大していくから早く腐敗しやすいんじゃないかなと、そう思うんです。だって栄養の高いものを食べると、どうしても太り気味になるでしょ。

 ・・・必要以上に肥大するということは、やっぱり作物においても決していい結果は出さないと思うんです。

自然なまま

「心」が変われば地球は変わる (扶桑社文庫)

 奇跡を支えてくれたソウルメイトということで、こんなお話がありました。

 

P185

 ・・・今も人との縁をつないでくれているヤマさんですが、レストランを何軒も経営する忙しい身でありながら、いつもマメに畑に顔を出してくれます。

 ・・・

「打算や計算があると、せっかく神様が与えてくれた出会いを無にしてしまう。自然なままに出会い、自然なままに人とつき合うと必ずいい方向にいく。お互いに助け合っていけば、その先には宝物がある」

 ヤマさんは、そんなふうに言います。

 ヤマさんと私のつき合いは、まさに「自然なまま」のつき合いです。お互いに相手を絶対に傷つけないし、ケンカもしません。忙しくて約束を忘れてしまったり連絡が取れなくなっても、いつも「しょうがないな」で許してもらっています。

 ・・・

 アキとのつき合いは、もう何年になるでしょうか。

 私たちは同じ中学で、アキはひとつ年下です。・・・

 ・・・

 アキとはお互いに何の遠慮もせず、兄弟同様のつき合いをしてきたので、たまにささいなことでケンカになることもありました。たいていは、私のほうがヘソを曲げて口をきかなくなるのです。といっても深刻な話ではなく、いつも取るに足らないことがきっかけです。何日かしてアキから電話がかかってくると、待ってましたとばかりに、私は何事もなかったかのように話し始めます。

 アキと話すときは、気兼ねはいっさいなし。

 相手がどう思っているだろうとか、こんなことを言ったら変に思われないだろうかなどとは一切考えません。飲んで「うるせえじゃ、この!(うるさいなあ、こいつ!)」と無邪気に笑い合える相手、お互いに表も裏も見せ合える関係です。だから、人から見たら、まるで夫婦か恋人のような間柄に見えるかもしれないなあとも思います。

 無農薬栽培を始めて友達がみんな去ったあと、アキはたった一人残ってくれました。

 私にお酒を買う余裕も飲みに行く余裕もないことを知っていて、折を見ては飲みに誘ってくれたり、「これ、もらったはんで(もらったから)」と一升瓶を持ってきてくれたりしたものです。

 ・・・

 当時の私はいつもどおりに振る舞ってはいましたが、人から無視されバカにされる悔しさや寂しさを嫌というほど味わっていました。そんななかで、アキの存在がどれだけ心強かったかわかりません。

 ・・・

 社長として多忙を極めながらも、アキは毎日神様と仏様を拝まないと気が済まないそうです。そのように信心深い性格だからか、私が体験した不思議な話も、バカにすることなく真剣に聞いてくれます。

 ・・・

 まだ私がリンゴづくりに悪戦苦闘していたころ、元気づけようとしてくれたのか、アキがある霊能者のところへ連れていってくれたことがありました。

 青森県に近い秋田県鹿角市の、とある神社にいる先生です。

 ・・・

 そのときの私に対する予言は、「あなたは、65歳でこの世を制するでしょう」というものでした。

 当時は、貧乏でおコメすら買えないころです。私は「そんなことがあるはずがない」と思いました。しかし今、もちろん世の中を制したわけではありませんが、少しは人のお役に立つようになっています。だから、先生の言ったことはまったく見当違いだったわけではなかったかもしれません。

 アキは、素晴らしい能力を持った人たちに会ったり、岩木山神社をはじめとする神社仏閣に行ったりすると、自分が無心になると言います。その気持ちは、私にもよくわかります。

 いつもはバカ話ばかりしている私たちですが、お互いに魂の深い部分でもつながっているから、こうやって助け合い、学び合っているのだろうと思います。

常識を疑う

「心」が変われば地球は変わる (扶桑社文庫)

 宇宙人と出会ったお話、つづきです。

 

P103

 ・・・宇宙人との関わりは、それで終わったわけではありませんでした。

 彼らは、再び私の前に現れたのです。

 それは、リンゴ栽培に成功した数年後のことでした。

 ある日、自宅2階で寝ているとフッと目が覚めました。見ると、布団の横に二人の人物が立っています。やはり目だけがギョロッと輝く小柄な人たちです。二人は意外に強い力で私を両脇から抱え、私は二人に連れられて上空へと昇っていきました。

 気がつくと、金属製のようなベンチに座っています。そこは大きな建物の中のようで、私のほかに外国人の男女が二人。お互いに話すこともせず座っていると、私を連れ去った二人組と同じ背格好の宇宙人が現れ、外国人の男女を連れて行きました。

 一人になったので立ち上がって窓の外を見ると、真っ暗です。ビルを横にしたような建物がいくつも重なって見え、窓から明かりが漏れていました。

「ここは、地球ではないな」。私は漠然とそう思いました。

 その後、私も宇宙人に連れ出され、別の部屋に案内されました。廊下を歩く途中で開いていたドアから中を覗くと、先ほどの男女が裸でそれぞれベッドに寝かされ、周りをズラッと宇宙人が取り囲んでいます。同じように調べられるのかと思いましたが、私が連れていかれたところは、操縦室のようなところでした。

 次に覚えているのは、二人組とともに家の外にいた場面。

 一緒に家の中に入ったのが最後の記憶です。目を覚ますと私は一人で、見慣れた我が家の寝室に寝ていました。もちろん、女房は「まだ、夢でも見たんだべさ」と取り合ってくれません。しかし、夢というにはあまりにも鮮明な記憶でした。

 ・・・

 この話には後日談があります。数年後、女房とUFOの特番を見ていた私は「アッ!!」と声を上げました。テレビの中で体験談を語る外国人の女性は、私がUFOで一緒だった女性その人だったのです。彼女の話は、私の体験とまったく同じ内容でした。そればかりでなく、彼女は、西洋人の男性と眼鏡をかけた東洋人の男性が一緒だったと証言していました。眼鏡をかけた東洋人こそ私です。やはりあれは夢ではなかったのだと、そのとき私は確信したのでした。

 私は自分が特別だから、このような体験をしたとは思っていません。

 自分たちが「当たり前、常識だ」と思っていることをまず疑うことが必要ではないか。彼らは、それを伝えにきたような気もします。

 ・・・

 岩木山は、UFOがひんぱんに出没する場所として、知る人ぞ知る場所です。私以外の人にも目撃され、地元紙も取り上げたことがあります。娘たちが小さいころは大騒ぎして絵に描いたりしていましたが、たびたび見るのでそのうちに驚かなくなりました。

 つい最近、1年ぶりくらいにまたUFOが現れました。ピンポン球ほどの大きさの光が東の空に滞留していたのです。私にしてみれば、不思議なことでも何でもありません。今の日本を見て彼らはどう思っているのか、ふと気になります。

心が変われば地球は変わる

「心」が変われば地球は変わる (扶桑社文庫)

  久しぶりに木村秋則さんの本を読みました。

 大切なことを思い出せました。

 

P96

 人間が知っているのは、本当にわずかなことだけ。

 計り知れない不思議がこの世界には存在する。

 リンゴを無農薬で実らせようと七転八倒した日々を通して、私は次第にそう思うようになりました。もうひとつ、大きな理由があります。それは、これまで私が不思議な出来事を体験したり、奇妙な存在をこの目で見てきたからでもあります。

 ・・・

 UFOに乗せられた。

 龍を見た。

 宇宙人に遭った。

「あの世」へ行った。

 ・・・

 ・・・私にとっては、無農薬、無肥料でリンゴを栽培したことも、龍を見たり、UFOに乗せられたりしたことも、同じ「真実」。この身で体験したことをそのままにお話ししているだけですから、何と言われようとかまいません。

 私が10代のころから、折に触れて感じてきたのは、龍の存在です。

 ・・・私が17歳のとき、その龍が突然目の前に現れました。

 当時の私は、高校2年生。自転車で下校している途中のことです。

 そこは、田んぼの中の一本道。車は走っておらず、私はゆっくり自転車をこいでいました。ふと道路の反対側に目をやると、数メートル先を歩いていたおじさんが片足を上げたまま固まっています。不思議に思って自転車を止めたその瞬間、道路を横切って大きなワニの頭がドサッと音を立てるようにして現れました。

 ワニと違うところは、太ももほどもあるヒゲがゆらゆらと動いているところです。何かを言おうとするように口が上下に動いています。あまりに大きいので、目がどこにあるか見えません。

「怪物が現れた!」と、まず思いました。私はとっさにおじさんを見ましたが、まださっきの姿勢と同じです。怪物の姿にあぜんとしながら、「今、時間が止まっているのかもしれない」と、頭の片隅で冷静に考えました。

 怪物は、それからさっと移動し、近くにあった松の木の先端に止まりました。・・・

 龍は尻尾を木の先端にからませ、宙に浮いていました。・・・

 どのくらい時間が経過したでしょうか。龍は天を目指して、スーッと飛び立っていきました。それを待っていたかのようにおじさんが歩き出し、また時間が動き始めました。

「今のは、何だったんだ!」

 ・・・

 龍は、その後も私の人生に登場します。次に遭遇したのは、それから30年後。自然栽培を広める仲間たちと一緒のときでした。

 ・・・仲間たちと記念撮影をしようと並んだときです。カメラを構えた知人があわてて私たちの後ろを指さすので、「なんだ?」と全員が振り向きました。

 するとそこには、山々の上を悠々と飛んでゆく龍の姿がありました。

 ・・・仲間は手持ちのカメラを取り出し、それぞれ夢中でシャッターを切っていましたが、不思議なことに画面はどれも真っ暗で、すべての写真に光のラインがスッと入っていました。

 その後、私も含めてそこにいたメンバーには、それぞれの人生の転機が訪れました。私が、NHKの『ザ・プロフェッショナル仕事の流儀』に出演したのは、この出来事から数カ月後のことです。

 ・・・

 17歳の私が見た存在が本当に龍だったとしたら、何を伝えたかったのだろう。若いときにはそんなことを考える余裕はありませんでしたが、ここ数年、ふと「あのとき龍は口を動かして何を言いたかったのだろう」と、考えるようになりました。

 何かを伝えたかったというのは単なる私の思い込みで、明確な意思などなかったかもしれません。しかし、龍と遭ったあとに私がたどった人生を考えると、いつも不思議な偶然や出会いがありました。

 もうダメだと覚悟した絶体絶命のピンチで助け船を出してくれる人が現れたり、一歩間違っていれば命を落としかねない事故の手前で、九死に一生を得たりしたことも一度や二度じゃありません。

 ・・・

 今、私はこう考えます。

 龍の言いたかったことは、「志を貫け」ということではなかったかと。それは、汚染された地球環境を元に戻すことであり、自然栽培を広げていくことです。だから不思議な存在が、私の人生に時折その姿を現し、「見えることだけがすべてではない」と教えてくれているのかもしれません。

 不思議な存在といえば、宇宙人らしき存在との出会いも忘れることはできません。

 ・・・

 ・・・ある日、家に帰ろうと暗い畑の道を歩いていたら、目だけが大きく光る異様な二人組が畑に現れたのです。

 その二人組は、夕闇の中で、リンゴの木の間を猛スピードで移動していました。目を凝らすと、身長は130センチほど。体はメタリックなボディースーツのような肌で覆われています。足は地面から少し浮いているように見えました。

 ・・・

 2度目に同じような二人連れが現れたのも、夕暮れ時でした。

 姿形は以前と同じです。・・・立ち往生していると、メッセージのようなものが伝わってきました。「安心しなさい」と言っているようでした。