あんまり頑張らないで、でもへこたれないで。

樹木希林 120の遺言 ~死ぬときぐらい好きにさせてよ (上製本)

 面白く愉快に、頑張らずへこたれず・・・そうしたいなぁと思いました。

 

P69

 本物だからって世の中に広まるわけじゃないのよ。偽物のほうが広まりやすいのよ。偽っていう字は人の為って書く。人の為だと思って一生懸命作るんだけど、その裏側に、薬害だったり、いろいろなことがある。だからそんなに、本物ばっかりが世の中にあるわけじゃないんだと思うと、それを売らなきゃなんない広告の仕事というのは、ある意味で責任があると思うの。かといって、そこばっかりを考えると面白くない。商品のダメさをちゃんと作り手がわかってて、でもその中のいい部分はここだよというところを見つけて、そして遊んでもらいたいという風に思うのね。だって人間は絶対そうじゃない。

 

P71

 メッセージ?そんな先のない私がメッセージっていうのもなぁ。

 あの、おこがましいんですけども、ものには表と裏があって、どんなに不幸なものに出会っても、どこかに灯りが見えるものだというふうに思ってるの。もちろん、幸せがずっと続くものでもないから、何か自分で行き詰まった時に、そこの行き詰まった場所だけ見ないで、ちょっと後ろ側から見てみるという、そのゆとりさえあれば、そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに今頃になって思ってますので。

 どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて、お互いにっていうとおこがましいけど、そんなふうに思っています。あんまり頑張らないで、でもへこたれないで。

120の遺言

樹木希林 120の遺言 ~死ぬときぐらい好きにさせてよ (上製本)

 世界をいろんな視点から眺められる言葉がちりばめられた本でした。

 こちらは「死」をテーマにした地方でのトークイベントで語られた、帰国子女の知人の娘さんが父親の臨終に立ち会った際のエピソードと、希林さんが思う神様のお話です。

 

P51

 で、「パパ!」「起きてよ!」ってみんなで必死に願うじゃない。心電図のモニターの波がツーツー、ツーーーって消えそうになると。でもって、そうすると何か聞こえるらしくて、ツーツーってまた波が戻るんですって。(中略)で、またツーーーってなると、「パパー!」「生きてぇ!」ってなる。ところが、「パパー!」って何回も繰り返しているうちに、だんだんみんなくたびれてきちゃったのね。で、何度目かにまたツーーーってなったときに、娘さんが「パパ!生きるのか、死ぬのか。どっちかにして!」って。

 爆笑だったわね。死をテーマにした会場中が。でもわかるわよね、この気持ち?さらにこの話は続きがあって、そのあと火葬場で待つじゃない。お骨になるまで。部屋で待っていると、1時間くらいして係の人が報告にきた。そうしたらその娘さん、「みなさーん、いまパパが焼き上がりました」って。

 面白いわよねぇ、世の中って。「老後がどう」「死はどう」って、頭の中でこねくりまわす世界よりもはるかに大きくて。予想外の連続よね。楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。

 

P55

 わたしの場合は仏教徒だから、無神論者じゃないんだけど、だからって釈迦や日蓮親鸞空海道元や……を拝んだことはないのね。迫力ある生を生きて、しっかりと死んだ、神の心にまで至ったステキな人間だという感動はあるし、計りしれない敬意は持ってても……。私にとっての神は、光みたいなもんだと思うのね。「神様のバチが当たる」っておどかされて、よくおどろいたんだけど、神様ってのは、そんなセコいもんじゃないと思うのね。拝むと功徳があって、拝まないとバチをあてるなんて裏口入学みたいなかけ引きするわけないもの。光は、生をうけたもの全部にあたるんで、ただ、うけとるこっち側が、スモッグがかかってるか晴れてるかによってその光は、くすぶったり、輝いたりするんだと思うのね。いずれ科学も進歩して、心を反射する光を究めることができるかもしれないけど、それまでは、自分の判断を超えるものに対して、拒否したり溺れたりしないでもう少し自然でいたいなあと思うのね。

 だって、それほどわたしは強くも弱くも偉くも駄目でもないんだもの。

感謝の心

運気を磨く~心を浄化する三つの技法~ (光文社新書)

 ここも、大事だなと思ったところです。

 

P196

 ある人が、海外出張中に自動車を運転していて、一瞬のミスから大事故を起こし、病院に担ぎ込まれた。しかし、大手術の結果、一命は取り留めたものの、左足を切断するという結果になってしまったのである。

 麻酔から覚め、その現実を知ったこの人は、一瞬の不注意によって人生を棒に振ってしまったことを思い、悲嘆のどん底に投げ込まれていた。

 しかし、事故の知らせを受けて日本から駆けつけたこの人の奥さんは、病室に入るなり、旦那さんを抱きしめ、何と言ったか。

「あなた、良かったわね! 

 命は助かった!

 右足は残ったじゃない!」

 このエピソードが、我々に教えてくれる、大切な「人生の真実」がある。

 何が起こったか。

 それが、我々の人生を分けるのではない。

 起こったことを、どう解釈するか。

 それが、我々の人生を分ける。

 ・・・

 この「右足は残った!」の言葉は、その根底に、一つの覚悟と呼ぶべき人生観がある。

 それは、

 人生で「与えられないもの」に対する不満の心ではなく、

 人生で「与えられたもの」に対する深い感謝の心。

 その感謝の心に支えられた人生観である。

 ・・・

 ・・・過去の人生を振り返り、一つの問いを問うてみて頂きたい。

 あなたは、いつ、成長しただろうか。

 それは、決して、順風満帆の日々、幸運が続いた日々ではなかったのではないか。

 ・・・

 ・・・苦労の多い日々を、悪戦苦闘しながらも前向きに歩んだとき、気がつけば、成長している自分がいたのではないだろうか。

 ・・・

 ・・・「感謝の姿勢」を持つことは、極めて重要である。

 それは、なぜか。

「自力」の落し穴に陥らないためである。

 ・・・

 ・・・「自力」の意識が強いと、たとえ、何かに成功しても、「自分が自力で成し遂げた」という意識の裏に、必ず、「次は上手くいくだろうか」「自分の力もここまでではないか」といった不安感や恐怖心が芽生えるからである。

 これに対して、何かに成功したり、何かを成し遂げても、それが「天の配剤」や「大いなる何かの導き」によるものであるとの謙虚な感謝の想念を持つならば、その想念は無意識の世界に「天が導いてくれている」や「大いなる何かが導いてくれている」という深い安心感を生み出すのである。

大事なこと

運気を磨く~心を浄化する三つの技法~ (光文社新書)

 印象に残ったところのメモです。

 

P77

 ・・・量子物理学が明らかにしているように、我々の目の前にある「物質」というものは、本来、存在しないからである。

 ・・・我々が「物質」と思っているものの実体は、すべて、「エネルギー」であり、「波動」に他ならず、それを「質量を持った物質」や「固い物体」と感じるのは、我々の日常感覚がもたらす錯覚にすぎない。

 

P122

 実は、人間の中には、表面意識にポジティブな想念を引き出しても、無意識の世界にネガティブな想念が生まれない人がいるのである。

 それは、誰か。

 無邪気な子供である。

 例えば、無邪気な子供に、「君は、大人になったら、何になりたいの?」と訊いたとする。もし、その子供が、「うん、僕は、大人になったら、宇宙飛行士になるんだ!」と答えたとしても、この子供の心の中に、「なれるだろうか……」「なれないのではないか……」「なれなかったらどうしよう……」といったネガティブな想念は、決して生まれない。

 なぜなら、この子供は「無邪気」だからである。

 

P256

 ・・・我々が、永い歳月をかけて人生を歩み、「必要なとき、必要な配剤が与えられる」ということが、日常の出来事として感じられるようになったとき、もはや、「良い運気を引き寄せる」ことを考えることもなくなり、「運気」という言葉を意識する必要もない境涯がやってくる。

 なぜなら、我々の人生は、

 現象的に何があろうとも、

 本来、大いなる何かによって、

 必ず、良き方向に導かれる人生だからである。

 そして、その大いなる何かとは、

 我々の心の奥深くに存在する 

「真我」と呼ぶべき、我々自身だからである。

 その真実を理解したとき、昔から語られる叡智の言葉が、心の奥深くに染み入ってくる。

 人生で起こること、すべて良きこと。

運気を磨く

運気を磨く~心を浄化する三つの技法~ (光文社新書)

 「運気を磨く」という本を読みました。わかりやすかったです。

 内容が最後にまとめられていました。

 

P258

 どうすれば、我々は、人生において「良い運気」を引き寄せることができるのか。

 そのためには、一つの法則を理解する必要がある。

 それは、我々の心の状態が、その心と共鳴するものを引き寄せるという法則である。

 特に、「無意識」の世界にある想念は、それと共鳴するものを強く引き寄せていく。

 ・・・

 ・・・我々が、本当に「良い運気」を引き寄せたいと願うならば、あれこれの「心理テクニック」によって無意識の世界にポジティブな想念を刷り込もうとするよりも、「根本的な心の姿勢の転換」によって、無意識の世界から自然にネガティブな想念が消えていくという技法を用いるべきなのである。

 ・・・

 そのことを、本書においては、「人生の習慣を改める」「人生の解釈を変える」「人生の覚悟を定める」という「三つの技法」として述べ、それぞれ、次の「三つの習慣」「五つの解釈」「五つの覚悟」として述べた。

 

第一「無意識のネガティブな想念」を浄化していく技法

 第一の習慣 自然の偉大な浄化力に委ねる

 第二の習慣 言葉の密かな浄化力を活かす

 第三の習慣 和解の想念の浄化力を用いる

 

第二「人生でのネガティブな体験」を陽転していく技法

 第一の解釈 自分の人生には多くの「成功体験」があることに気がつく

 第二の解釈 自分が「運の強い人間」であることに気がつく

 第三の解釈 過去の「失敗体験」が実は「成功体験」であったことに気がつく

 第四の解釈 自分に与えられた「幸運な人生」に感謝する

 第五の解釈 自分の人生に与えられた「究極の成功体験」に気がつく

 

第三「究極のポジティブな人生観」を体得していく技法

 第一の覚悟 自分の人生は、大いなる何かに導かれていると、信じる

 第二の覚悟 人生で起こること、すべて、深い意味があると、考える

 第三の覚悟 人生における問題、すべて、自分に原因があると。引き受ける

 第四の覚悟 大いなる何かが、自分を育てようとしていると、受け止める

 第五の覚悟 逆境を越える叡智は、すべて、与えられると、思い定める

 ・・・

 本書の思想は、いかにして「ネガティブな想念」「ネガティブなもの」「不運な出来事」を否定していくかという思想ではなく、本来、我々の人生においては、「ネガティブな想念」も「ネガティブなもの」も「不運な出来事」も無い、という「全肯定」の思想、すなわち、「絶対肯定」の思想を述べている。

 ・・・

 人生で与えられるすべての出来事や出会いは、

 それがどれほど否定的に見えるものであっても、

 我々の心の成長や魂の成長という意味で、

 必ず、深い意味を持つ

 という思想である。

 ・・・

 ・・・もし、あなたが・・・この「絶対肯定」の思想を体得されるならば、ごく自然に、一つの真実に気がつかれるだろう。

 我々の人生においては、本来、

「良い運気」も「悪い運気」も無い。

 ・・・ 

 我々が真に求めていたものは、「良い運気」を引き寄せることではなかった。

 我々が真に求めていたものは、「人生を拓く」ことであった。

 そのことに気がついたとき、あなたの「人生の風景」が変わるだろう。

 ・・・

 そして、我々が「心を磨く」ことを続けるならば、それは、我々の心の奥深くに存在する世界に繋がっていく。

 ・・・

 そして、その世界こそが、「真我」と呼ぶべき、我々の本当の姿。

 我々の人生を、不思議な形で導いているのは、実は、我々自身に他ならない。

 そのことを思うとき、かつて、インドの思想家、クリシュナムルティが語った言葉が、深く、心に響いてくる。

 あなたは、世界であり、

 世界は、あなたである。

僕の本能が言ってることだから

1週間の食費が300円だった僕が200坪の別荘を買えた本当の理由

 本能に従えば間違いない、それはその通りなのですが、それが簡単な人ってたぶんそう多くはないような・・・なんて健康な人なんだ⁉とびっくりでした。

 4つのジムに所属していて、仕事に行く前に必ずジムで運動するそうです。体を動かさないでいるとイライラしやすくなって、集中力も落ちる、体を十分動かしてから仕事に行くと、超元気で頭もクリア・・・と書いてあって、もっとも過ぎて、なんか清々しいなと思いました。

 

P196

 僕はよその国から日本に来たから、特にそう思うのかもしれないけど、価値観や考え方はひとつよりふたつ、ふたつより3つ知っておくほうが、世界が広がると思うんだ。

 そして世界を見ると、多様な考え方や価値観を知ることができる、同時に、日本のよさも改めてわかるよね。子どもたちには、そこから自分なりに生き方を選んでいける人になってほしい。

 世界で体験したことを持って帰って生かしてもらえば、日本のためにもなると思うから。

 子どもだけじゃないよ。大人だって世界に目を向ければ、でっかく考えることができる。1億人を相手にするのと、70億人を相手にするのとでは、どっちがチャンスが多いかはっきりしてるだろう⁉

 何も、みんな海外に行こうよって言ってるわけじゃないんだ。

 世界に目を向けて大きなスケールで考えると、それだけ自由に羽ばたけるってこと。そうすると、動かせるお金も大きくなる。

 僕も、ビジネスをもっと広げて世界を目指したい。ゆくゆくは、地球を超えちゃいたいね。って、どこに行きたいんだ⁉

 でも、これは僕の本能が言っていることだから、その声を聞いていけば、間違いないと思ってる。

 常に本能に従えば、わざわざ勇気を出す必要もないし、やめたいと思ったらいつでもやめられる。・・・

 僕はいつも、人生という旅って片道切符じゃないかなと思ってるんだ。

 一方通行で前に進むしかない。失敗しても時間は戻らない。だから、ただひたすら突き進む。それが、成長につながると思ってるからさ。

お金は巡る

1週間の食費が300円だった僕が200坪の別荘を買えた本当の理由

 とっても健やかな考え方だなぁと思いました。

 

 

P184

 自分のお金を使って、たとえば誰かの役に立ったり、誰かを笑顔にできたら最高にうれしいから、その笑顔を、自分の「貯金」にしたいなあって思ってるんだ。そのほうが、ダンゼン楽しいだろ⁉

 もちろん、貯金も悪くはないよ。お金はないより、あったほうがいい。ただ、ずっと預けてるだけで何にも使わなかったらモッタイナイんじゃないかなって思うんだ。使わなければ、数字として存在してるだけだからさ。

 アフリカに、すごく有名な言葉がある。

「ポケットにお金が入っていればいるほど、そのポケットはかゆくなる」

 かゆいところをかくには、ポケットのお金を出さなきゃいけない。つまり、貯めこまないで持ってるお金は使おうぜってこと。

 実際ナイジェリアの人たちは、今日が楽しければいいから、あるお金を全部使っちゃう。年を取ったら子どもが面倒を見てくれると思ってるし、子どもがいなかったら、お金を持ってる人が助けてくれると思ってるから。

 日本に住んではじめて、「ああ、将来のことって考えるものなんだ」とビックリしたよ。日本人が聞くとビックリだろ⁉でも僕もビックリしたんだから、お互い様だね。

 今の僕は、家と子どもの教育費と普通に暮らしていける生活費があれば、十分と思ってるんだ。僕の中にお金を生むアイデアはたくさんあるし、あとのお金は、社会に渡していければいいなあって。

 不思議だけど、そうやってまわりの役に立とうとするほど、投資でいい結果が出たり、仕事がたくさん来たりしてお金って返ってくるんだよ。